シューリヒト掲示板発言 2650−2601(2012−2013年)
投稿者:信一 投稿日:2013年 1月 6日(日)22時57分6秒 | 返信・引用 |
| > No.2573[元記事へ]
thetaさん
モノラル化すると格段に聞きやすく、あるいは集中しやすくなりますね。 ただ、ちょっと音の荒れが気になります。 私も第5だけはモノラル化して再調整を試みましたが、高域を抜けやすくしようとイコライジングするとやはりじゃりじゃり感がでてしまいました。
ところで、ちょっと前に触れましたが、CDプレーヤのなかのオペアンプをとっかえひっかえしているうちにかなりいい調子になる組み合わせがありました。 パソコンやDVDプレーヤで聞くと、霞がかって暖簾に腕押しのようないらいらする音なんですが、このCDプレーヤではそれがない。なぜなのか理由はわからないのですが、、、 このプレーヤのアウトプットからの音をパソコンで録音し、加工するとはるかに高音質にできるようなきがしています。 すぐにとはいかないのですが、今年はそういう形で改善版”第1稿”を提供しようかとおもっています。 今年もご協力のほどよろしくお願いします。
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投稿者:信一 投稿日:2013年 1月 6日(日)22時31分13秒 | 返信・引用 |
| > No.2572[元記事へ]
修理人さん
とうとう入手されましたか!! 特に4.8番の音を聞いてみたいですね。私の幻影に過ぎなかったのか、それとも日本へ送られたテープの出来がよかったのか、、、
解説は宇野さんだと記憶しますが、録音の状態についての記述があったように思うのですがどうでしょうか?
スバらしい再生装置をお持ちの方に板起こししていただけたら最高のお年玉になるんですが、、 | | |
投稿者:theta 投稿日:2013年 1月 5日(土)14時02分38秒 | 返信・引用 |
| 皆様、あけましておめでとうございます。 修理人さん、こっちのお正月はシドニー湾の花火とビーチとバーベキューです(笑) そして暑い!今日あたりは夏真っ盛りです(笑)
さて、年末から続くヘンスラーのコレクション第2弾の話題ですが。。。 結局、前回話題にした運命に加えて、ブラームス1番とドビュッシー海は自分でモノラル化処理してきいてみました。ほかの演奏はそのままでもまあいいかなと思いましたが、この3曲に関してはきいていて居心地が悪く、演奏に集中できないからです。 そのモノラル化した3曲の音源サンプルを、参考までにアップしました。 http://firestorage.jp/download/4c06ae5cf7137daffe07879ed872c341428474e6 あくまでもサンプルなのでフォーマットはmp3です。保存期間も1週間です。 出たばかりのディスクですし、マナー上どうかとも思ったのですが、言葉で伝えるだけでなく、私にとって居心地のよい音の実例を出した方が話が面白くなるのではと思いました。皆さんがどうお感じになるか、興味しんしんです。 | | |
投稿者:修理人 投稿日:2013年 1月 5日(土)10時07分9秒 | 返信・引用 編集済 |
| 信一さま
今年もよろしくお願いします。 新年早々、以前信一さんがおっしゃったシューリヒト・パリ音楽院管によるベートーヴェン交響曲集のAn Angel Treasure盤がヤフオクに出ていたので、2枚ほど購入しました(7番と8番、5番と4番)。 | | |
投稿者:信一 投稿日:2013年 1月 4日(金)07時28分24秒 | 返信・引用 編集済 |
| 新年明けましておめでとうございます
昨年の最大の収穫はシューリヒトのリハーサル、最晩年のシューリヒトの記録ですが、オーケストラを励まし導いていくすばらしいリハーサルでした。オーケストラに向かっているというか、まるで旗でも持って別の世界へ”先導”していくような勢いがあります。 シューリヒトの心の中になっている音に触れているようで感無量です。
昨年のリリースは、量的には充実していました。 世界的にシューリヒトの演奏が求められ始めたような気がします。 RIASに残されている録音やハンブルクとの演奏、復刻を待っている録音が目白押しです。 また、ネット上でも動きがありました。 初期のSP録音を相当数お持ちの方のようで↓これから期待できます。 みなで協力してたくさんのコメントを書き込んで励ましてみましょう!? http://satyr78lp.blogspot.jp/2012/10/carl-schuricht-grieg-clangor-1929.html
聞き始めは気分を変えてフランソワの36枚組(3000円ちょっとと言う驚異的な価格)を聞き始めています。ほとんど縁のなかったピアニストで、聞きかじったときは、この人の演奏、粋と言うより乱暴に聞こえて自分には合わないと思ったのですが、聞きすすめて慣れてくると実にいい!! 心意気の高さに励まされます。
私たちにとって、あかるい年になりますように!!
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投稿者:修理人 投稿日:2013年 1月 3日(木)17時58分51秒 | 返信・引用 編集済 |
| みなさま、新年明けましておめでとうございます。
thetaさん 南半球のお正月はいかがでしょうか? ヘンスラー第2弾収録のブラームス交響曲第1番の録音、お気に召さなかったようですね。う〜ん、残念。 | | |
投稿者:信一 投稿日:2012年12月29日(土)23時14分40秒 | 返信・引用 |
| > No.2566[元記事へ]
thetaさん
お久しぶりです。お元気で何よりです。 詳細な感想ありがとうございます。
> ですが、私個人の音楽観、シューリヒト観からすると、やはり違和感があります。
我意を得たりです。悪くないかもと聞き進めても、結局は疑心難儀になってやめてしまう。そんなことの繰り返しです。 シューリヒトの演奏がもつ緊張したきびしい響き、それが晴れやかな響きに聞こえてくる奇跡、そうした醍醐味がごっそり抜かれている。
技術者は、丁寧に仕事をしたのでしょうが、ひたすら凡人レベルの響きにしようと苦労している。 困ったものです。
OPアンプの組み合わせによっては、おおというほどにまともな音になることがわかりました。ただ、普通の録音が聞けなくなると言う不便はありますが(苦笑) たぶん、位相の操作が、諸悪の根源なんでしょう。
> 特に一楽章。これまできいたあらゆる運命の中でマイベストです!信一さん、ぜひモノラルにしてお聴きになってみてください!
PCに取り込んで、直したいが、いまちょっと気力がなえています。 実のところ、しばらくはなれていたい、、、重症です。
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投稿者:theta 投稿日:2012年12月29日(土)09時23分25秒 | 返信・引用 |
| 皆様、おひさしぶりでございます。まだ生きていたthetaです(笑)
遅ればせながら、ヘンスラーのシューリヒト・シリーズ2をようやく入手しました。 さっそく、ディスク3,4,1,2という順番できき進め、ここまでの感想です。
田園は、信一さんの評価で想像していたほどは悪くありませんでした。 (かといって良いわけでもありませんが。) さいきんの復刻に多い最低域の削り込みがなく、響きの安定感がある程度保持されている点は好感が持てます。 しかし高域はやや丸めすぎで、低域とのバランスが悪く、鮮やかさに乏しいのが年代を考えると納得行かないところです。
シューベルト5番は、鮮明で耳当たりのいい音ですが、いささか生ぬるくきれいごとの音で、きき続けているとイライラしてきます(笑)
ブラームス1番は出だしからしてあまり気に入りませんでした。 響きの角がきれいに丸められており、良く言えば抜けのいいさわやかな音。 ですが、個人的には生煮えなのに味が抜けている、という感じです。 また、芯がなく、響きの背骨がへなへなしている印象です。
中域を刈り込んですっきり感を出すというのが最近の復刻の傾向で、 (これをやりすぎるとドンシャリになるのですが) このシリーズの演奏、特にこのブラームス1番はそれが目立ちます。 なので、響きに芯がありません。ドンシャリというほど極端ではありませんが。 さいきんの趣味なのでしょうが、私はダメです。
低域の豊かさがないのも頼りない感じで落ち着きません。 私は低域フェチにはほど遠い人間ですが、これほどスカスカだとさすがにさびしい。 晩年なので往年の生気や熱気が薄れているのか?と勘違いされそうな音ですね。 飄々とした仙人のような境地(U野氏風)? そういう境地は確かに晩年のシューリヒトにはありますが、それはこういう音ではないと思います。
3番はここまできいた中では一番成功していると思います。十分に満足できました。 音場の広がりがグリーンヒル盤よりも遥かに大きく、それゆえの不自然さも感じさせません。3楽章で急に音がなまるのが玉にキズですが、これくらいの復刻ならそんなに文句はありません。
ベートーヴェンの1、3、4、5番ですが、年代の新しい1、4番はまあまあの音。 しかし音色や定位の不自然さはいくらかあり、気を散らされます。
エロイカは録音が古いので予想はしていましたが、今時のダメ復刻の典型的な音です。 アルヒフォンでお持ちの方には不要でしょう。
初ぎきの5番。演奏はすごい、というのはわかります。 しかし復刻は第1集の第9を思わせる不自然きわまりない音で、ヘンニナル・サウンドの真骨頂、という感じでした(苦笑)。 なので、例によってモノラル化処理をしてきき直してみました。 うわあ。。。これは・・・すごいの一言。 特に一楽章。これまできいたあらゆる運命の中でマイベストです!信一さん、ぜひモノラルにしてお聴きになってみてください!
いろいろ文句を言いましたが、全体としてエンジニアがそれなりに気を使って最善を尽くそうとしているのはわかります。粗雑でいい加減な仕事ではありません。しかし、私の好きな20世紀前半のドイツ音楽家の音ではないですね。 (複数の曲で波形分析をかけてみましたが、極端なでこぼこはなく、バランスを考えてうまくまとめている感じ。しかし、きれいに丸まりすぎているのが逆に不自然な印象を与えるのかもしれません。)
ともあれ、このセットで初めてきくことのできたブラームス1番、運命など、貴重な復刻をしてくれたということもあり、企画そのものには素直に感謝したいです。エンジニアの努力も認めます。こういう音の方がききやすくて好きという方も多いでしょう。
ですが、私個人の音楽観、シューリヒト観からすると、やはり違和感があります。 信一さんのお怒りに一票(笑) | | |
投稿者:修理人 投稿日:2012年12月23日(日)20時53分59秒 | 返信・引用 |
| ケロヤンさん
こんばんは。 この頃、ボックスで買うものが多いので、まとまった休みがないと聴けませんよね。 お正月休みは、うってつけです。お楽しみください! | | |
投稿者:ケロヤン 投稿日:2012年12月23日(日)08時18分28秒 | 返信・引用 |
| 信一さん、修理人さん、ケロヤンです。
その後、本業が忙しくてなかなか音楽を聴けていません。 シューリヒトばかりでなく、クレンペラーBOXも購入しましたが、積んどくばかりです。 (笑) また何か気付きましたら連絡させていただきます。風邪が流行っております。皆様お気をつけ下さい。
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投稿者:修理人 投稿日:2012年12月23日(日)01時12分6秒 | 返信・引用 |
| 信一さん 最近、静かですね。みなさん、どこに行ってしまわれたのでしょう、、?(^_^;; | | |
投稿者:信一 投稿日:2012年12月22日(土)12時03分56秒 | 返信・引用 |
| 修理人さん
私のCDプレーヤは自分で改造してすべてのOPアンプを交換できるようにしているのですが、ヘンスラーの音にあわせたOPアンプの組み合わせを探ってみたところ、あの妙な霞が消えてふにゃふにゃ気味の定位のワルイ音がかなりしっかりした音になるOPアンプがありました。アノログデバイセズのAD827というOPアンプなのですが、、、どうしてそうなるのかは謎ですが、
ともあれ、これで、仕切りなおして第2弾を聞き始めることができそうです。
投稿がないので、わからないのですが、ほかの方の状況はどうなんでしょうか? | | |
投稿者:信一 投稿日:2012年12月10日(月)13時43分1秒 | 返信・引用 |
| 修理人さん
オリジナルの状態、エンジニア、ディレクターの違いで、かなりできばえに凸凹があるようです。確かにブラ1のようにすばらしいものもあるのは評価しますが、、、、、、 しかし、何ゆえにこれほどまでの擬似ステレオ効果をつけなきゃならんのでしょう? いまどきどんな安物のAVアンプでもボタンひとつでこれくらいの擬似ステレオ効果は簡単にできます。 DSPというものがなかった当時、フルトベングラーを擬似ステで聞く需要はあったのでしょうが、、、、、
どうしても、ああいうにせもの効果をつけたいなら、いつでもオリジナルモノに戻せる”可逆擬似ステレオ”みたいなものを発明してからにしてもらいたいですね。 | | |
投稿者:修理人 投稿日:2012年12月 9日(日)20時10分36秒 | 返信・引用 編集済 |
| 信一さん
こんばんは。お怒りのようですね。(^_^;
>しばらく聞くのをやめます。 ブラームスの1番、、。 | | |
投稿者:信一 投稿日:2012年12月 9日(日)16時24分44秒 | 返信・引用 |
| 修理人さん
> ヘルベルト! > シュトゥットガルトの音がベルリンの音に!?(^_^;;
いや、耳当たりのよさのためなら詐欺さえ厭わないと言う意味です。
海を聞きました、30秒で止めCDを床に叩きつけました。 しばらく聞くのをやめます。
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投稿者:修理人 投稿日:2012年12月 9日(日)11時27分24秒 | 返信・引用 編集済 |
| 信一さん
ヘルベルト! シュトゥットガルトの音がベルリンの音に!?(^_^;; 田園は、ずいぶんこもった音ですね。 懲りずに、他のもお聴きください。 | | |
投稿者:信一 投稿日:2012年12月 9日(日)07時55分44秒 | 返信・引用 |
| > No.2550[元記事へ]
修理人さん
率直な感想としては、腑に落ちないですね。すごくきれいに聞こえますが、”別のもの”に作られている、と言う感じがどうしても抜けない。 録音年は15年にわたっていますが、ほとんどが同じような質感を持っている。ありえないことです。
ヘンスラーでなければなぁ---ため息がでます。
田園、これまでのどの復刻よりもきれいに聞こえますが、私は1分と聞いていられない。 これは相性というもの? 私の個人的事情ですかね。
アルヒフォンのエンジニアは”カール”となづけてもいいが、ヘンスラーのエンジニアには”ヘルベルト”と言う名前が似合いかも!?
つらいなぁ、こんなこと書くのは、でも、うそついてもしょうがないですね。 いずれ、時間を見て個人バージョンを作ることになるでしょう。
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投稿者:修理人 投稿日:2012年12月 8日(土)21時17分59秒 | 返信・引用 |
| 信一さん
こんばんは。とうとう到着しましたね! 私は今のところ、ブラームスの交響曲第1番・3番に、ぞっこんです。
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投稿者:信一 投稿日:2012年12月 7日(金)00時30分18秒 | 返信・引用 |
| やっと、おととい入手しました。
1枚目を聞く限り、音場を無理に広げず、自然な感じの擬似ステレオになっています。音がふにゃふにゃになるヘンニナル効果も影をひそめ、聞きあたりのよさを素直によい音として受け入れられます。 次に10枚目の練習風景を聞きました。夢に見たシューリヒトの練習風景、それも生涯最後のフルオーケストラとの記録、音質は文句のつけようのないステレオ、録音者は明らかに演奏風景を残すことを意識して、シューリヒト専用のマイクをセットして臨んでいます。 どれほど感謝してもしきれない!!!
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投稿者:修理人 投稿日:2012年11月29日(木)22時17分6秒 | 返信・引用 |
| 信一さま
ヘンスラーの第2弾にご期待ください。(^o^)/ | | |
投稿者:信一 投稿日:2012年11月27日(火)23時34分29秒 | 返信・引用 |
| ベートーヴェンはドイツ盤を周波数調整しただけの復刻かも? 濁りがかなり気になってきました。ちょっと褒めすぎました。汗 | | |
投稿者:信一 投稿日:2012年11月25日(日)18時14分56秒 | 返信・引用 |
| ようやく到着、聞き始めました。
ベートーベン 音圧レベルが普通になり音に力が戻っています。演奏の覇気が伝わって、弦につけたアクセントの工夫がよく聞き取れるようになり、演奏のすばらしさがわかりやすくなっています。 復刻の傾向は、雰囲気より演奏の迫力を重視したもの、妙な効果もつけておらず、50年以上過ぎたモノラル音源の復刻としては◎です。安心しました。
ただ、ドイツ盤を単にパソコンで正常レベルに調整したものがもっている音の荒れが感じられる曲もあり、正直、最高だぁと感激するようなレベルではないです。音の抜けがいまひとつ、たぶんホールトーンが抜かれてしまったのがその原因だと思います。
結果として、たたずまいは、THETAさんのトリアノン盤が上で、中域の音の濃さでは今回のICONと言ったところでしょうか?
ようやくドイツ盤は、わるい冗談だったねといえる日が来ました。シャルランの音が、、とか贅沢な不満はありますが、聞いていればシューリヒトを聞く喜びと感激に浸れます。これは素直に買いです。
ブルックナーは、ドイツ盤とくらべると2階席から平土間の第3列あたりに移動してきた感じで、音にだいぶ近づきました。しかし、ドイツ盤が持っているムジークフェラインのホール感は見事になくなってしまい、アナログで聞き込んだ人には違和感のある復刻です。 しかし、シューリヒトが何を感じ何を求めていたのか、ドイツ盤に比べればはるかに聞き取りやすいリアリティと情報量がありますので、これもまたよしと言う感じです。
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投稿者:信一 投稿日:2012年11月23日(金)13時31分35秒 | 返信・引用 |
| 修理人さんへ
> 人気沸騰で品薄なのでしょうか? 値段、話題性 売れる要素がありますよね。 企画自体はいいんですが、、、、 第1集も、そう目くじらを立てなくても、という人がいるでしょう。確かにシューリヒトを始めて聞くような人のとっては、年代相応、むしろ聞きやすいという感想もいいでしょう。 しかし、うーん 私にとっては、糊の効いたワイシャツと蝶ネクタイのシューリヒトのポートレート写真の修復を頼んだらワイシャツが綿のボタンダウンになって帰ってきたようなもので、それは違うだろう!? まぁ言っても詮無いことですが、、、、 | | |
投稿者:修理人 投稿日:2012年11月23日(金)10時31分31秒 | 返信・引用 編集済 |
| 信一さん
それは残念!人気沸騰で品薄なのでしょうか? EMIの方は、、。 | | |
投稿者:信一 投稿日:2012年11月23日(金)10時02分42秒 | 返信・引用 |
| 修理人さん
第2集は月末出荷との事です。分割出荷に変更して今日当たりEMIはくると思いますが、ちょっとイライラしますね。 | | |
投稿者:修理人 投稿日:2012年11月21日(水)17時28分10秒 | 返信・引用 編集済 |
| 信一さん
こんにちは。第2集、届きましたか? 今のところ私は、クルマ通勤の間に(苦笑) 1枚目から3枚目を聴いただけですが、 シューベルト交響曲5番と、ブラームス交響曲第1番、第3番など、 とても良いと感じました。 今度の連休には、部屋で楽しもうと思います。 | | |
投稿者:信一 投稿日:2012年11月21日(水)15時41分28秒 | 返信・引用 |
| ヘンスラーの場合、ヘンニナルステレオ効果がつけられているかどうかが問題です。 2.3分スピーカーから流していると、これはこれでいいかも?なんて気持ちになることもありますが、再生プロジェクトでダリンさんやTHETAさんの協力で復活させた音源と聞き比べてみると、、、、 ヘンスラーの行った仕事に、怒髪天を突き、 ナチの正体を知ったフルトベングラーをまねると”そのとき私は凶暴になった”
うーん注文しなければよかったかも???
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投稿者:信一 投稿日:2012年11月21日(水)13時47分39秒 | 返信・引用 編集済 |
| オーケストラの場合、ホールと楽器が”伝統”になるんではないでしょうか?ホールは強烈な伝統ですね。時間を越えて影響し続けるものを持っています。 ただ楽器はどうでしょうか、今世紀に入ってかなりグローバル化していますから、そこに”特殊環境によるローカル性”=伝統を求めにくくなっていると思います。 さらにオーケストラを実演ではなく録音で楽しんでいるなら録音レーベルの癖も伝統に一役買っているのでは?たぶんホールよりそちらのほうが強かったりして!? となると、最新録音から、そのオーケストラに50年、100年伝わるものを感じ取るのは相当難しいことではないでしょうか?
最近の録音を聞いてなにか物足りなくなるのは、そんなところに原因があるかもしれないですね(逆もまた真なりで、古い録音に魅力を感じるのは、そういうところにあるのかも)
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投稿者:ケロヤン 投稿日:2012年11月19日(月)19時11分49秒 | 返信・引用 |
| > No.2524[元記事へ]
信一さん
確かに、“環境”って書きかえると判りやすいですね。でもおそらくそうなると、これからのオーケストラには“伝統”なるものが存在しなくなり、“環境”の変化になってしまうのかと思うとちょっと淋しいですね。
ヘンスラーの第2集、私もこの間入手しました。 が、まだほとんど聴いていません。音質は、時代相応な感じでしょうか? 携帯プレーヤーで聴く分にはあまり問題ないように感じますが、どなたかお聴きに なられた方はいらっしゃいますでしょうか?
信一さんへのお返事です。
> ケロヤンさん > > > 一つお詫びしなければいけないのは、私の書き方が悪くて信一さんに誤解を与えてしまったかもしれません。 > > いや、僕の中に伝統という言葉やその他格好のよい言葉への猜疑心が芽生えただけで、ケロヤンさんのせいではないです。 > > 演奏芸術の場合、伝統って”環境”って書き換えると判りやすいような気がします。 > どうでしょう? | | |
投稿者:信一 投稿日:2012年11月19日(月)13時22分2秒 | 返信・引用 |
| HMにEMIとヘンスラー第2集を注文してすでに2週間。いまだに来ない。 ものすごく売れている?とんでもない問題がある?
どちらにしても、宇野工法流に言うなら、 歯に衣着せぬ表現で、もし不満ある場合、鬼神も泣かしむ報告を、よければ(これまでまともな感想がないので全然期待してないが)賞賛をするつもりです。
同時にフランソワの36枚組(どうも一枚足りないらしいが) 3000円ちょっと!!も購入、こちらは早く聞きたくてうずうずしてます。 | | |
投稿者:信一 投稿日:2012年11月19日(月)13時14分26秒 | 返信・引用 |
| > No.2518[元記事へ]
ケロヤンさん
> 一つお詫びしなければいけないのは、私の書き方が悪くて信一さんに誤解を与えてしまったかもしれません。
いや、僕の中に伝統という言葉やその他格好のよい言葉への猜疑心が芽生えただけで、ケロヤンさんのせいではないです。
演奏芸術の場合、伝統って”環境”って書き換えると判りやすいような気がします。 どうでしょう? | | |
投稿者:ケロヤン 投稿日:2012年11月11日(日)22時09分39秒 | 返信・引用 |
| > No.2516[元記事へ]
信一さん
お返事ありがとうございます。
一つお詫びしなければいけないのは、私の書き方が悪くて信一さんに誤解を与えてしまったかもしれません。「よく伝統と言われますが」云々は、信一さんに対してではなく、世間一般に対してということでした。しかし、そのお蔭で、「伝統」ということへのいいメッセージを頂戴出来ました。ありがとうございました。私もピアノロールは、ラヴェルやドビュッシー、マーラー、そしてパハマン等は聴くことがありますよ。
信一さんへのお返事です。
> ケロヤンさん > > あんまり便利な言葉なんで、簡単に伝統って言葉を使ってしまいました。ただ考えれば考えるほど演奏芸術を説明するのにこんなに空疎な言葉もないなぁと、、、、使ったことを後悔しています。 > >本来は内面的なことを指す > そうなんです。この掲示板で話題にしている大切な部分は、内面的、精神的な部分に関することですから、、、、、 ただ、そうであるなら、この場合”伝統”という言葉が適切かどうか???? > > 伝統工芸品のときの”伝統”とはAをAとして伝え続けているところに意味があります。まさに”統べて伝え”ている。織物や陶芸などは目標が形として存在しているので、製作する方法が作る人の個性より優先される、あるいは重要視されます。したがって人を離れたところに価値(伝統)が存在する。 > > 音楽の世界でも作曲に伝統はありえます。楽譜というものがありますから、、(ただ、正確に伝統にのっとった作曲に価値あるものはあるでしょうか??名曲の歴史は伝統の破壊の歴史のよう?) > > ところが演奏芸術に伝統って言葉、意味があるでしょうか? 過激な言葉で恐縮ですが、演奏とは”他人のレール(楽譜)の上を、よろけながら(自分の感性の反応)で習得した技術レベルにのっとって進む”ようなものではないでしょうか? > > 聴き手が演奏に感動する時とは、演奏家が作品から得た感動に共感あるいは驚嘆した時であるなら、演奏家の感動(あるいは演奏の価値)とは極めて個人的な感覚に基づくものなので、他人には伝えられない、つまり”伝統”には関係ないところにあるはずです。 > > ”彼はドイツ系の指揮者だ”という言葉や”有名な作曲家の弟子だ”とかいう言葉で、演奏を”聞く前”から感動できませんよね。(実を言うと時々単純に感心してしまいますが、、、苦笑) > > この辺の事情をすばらしく説明してくれるのが、ピアノロールです。とても丁寧な仕事でピアノロールを演奏録音しているものがあります。しかし、たとえばその中のパデレフスキーを聴いて、そのデジタル録音のピアノロールと同時代に録音されたラッパ吹き込みを比較したとします。その結果、ピアノロールのほうがパデレフスキーをよりよく伝えているとは、私には到底思えない。 > ”霊感”はラッパ吹き込みの中にあり、ピアノロールには”工夫”はあるが、”霊感”はない。 > どうしてそうなるかというと、ピアノロールには音を聴いている演奏者、出てくる音によってその場その時にゆれる弾き手の精神(いや、そういう難しい言葉はやめて生理といったほうがいいかも)が抜けているからです。 > > もし、パデレフスキーに弟子がいて、その人は自分を捨てて彼のすべてを吸収し、聞き知ったとおりに演奏できるようになったとします。その何十年後かに日本で彼が演奏したとして、(最高に伝統的なはずです)かれが私たちに伝えられる最高の演奏レベルは、残酷な言い方ですが、ピアノロールと同等あるいはそれ以下でしかないでしょう。 > > 長くなってしまいましたが、伝統という言葉が空疎に感じたのはこんな風に思ったからです。 > > では、われらがシューリヒトが伝えたかったのはなんだったのか? > それは、純粋に技術上の事だったとおもいます。先人や自分が工夫した演奏技術を伝えたかった。それはパレットを豊富にするもので、演奏表現の選択肢を増やすものだった。単に美しく滑らかに演奏すればよいのなら、合理的な奏法に勝るものはないでしょう。しかし、にごった響き、きつい響きに意味があるときもあります。世代ごとに聴き継がれてきた響きの記憶とそれを生む弾き方を伝えることで、強制ではないにしろ、”昔”を伝えたかったのではないでしょうか?そうか、先人の知恵を伝えたかったんですね。 > > 私の個人的な妄言かもしれませんが、、、シューリヒトのいう”必要な謙虚さ”とはそういうことだったと思います。 > > 追伸 > ピアノロールを聴くのは大好きです。2世代、3世代まえの工夫を楽しく聞き取れるからです。話の流れの中で否定的になってしまいましたが、積極的にお勧めしたいぐらいです。 > > > > | | |
投稿者:信一 投稿日:2012年11月10日(土)10時39分37秒 | 返信・引用 |
| 下の投稿を書き直したかったのですが、なぜかできないので、
聴き手が演奏に感動する時とは、演奏家が作品から得た感動に共感あるいは驚嘆した時であるなら、演奏家の感動(あるいは演奏の価値)とは極めて個人的な感覚に基づくものなので、他人には伝えられない、つまり”伝統”には関係ないところにあるはずです。
これはわかりにくい文章ですね、要するに演奏上の霊感を他人に再現させることはできない。肝心なところを伝統として残せない、、、と言う意味です。 | | |
投稿者:信一 投稿日:2012年11月10日(土)08時08分20秒 | 返信・引用 編集済 |
| ケロヤンさん
あんまり便利な言葉なんで、簡単に伝統って言葉を使ってしまいました。ただ考えれば考えるほど演奏芸術を説明するのにこんなに空疎な言葉もないなぁと、、、、使ったことを後悔しています。 >本来は内面的なことを指す そうなんです。この掲示板で話題にしている大切な部分は、内面的、精神的な部分に関することですから、、、、、 ただ、そうであるなら、この場合”伝統”という言葉が適切かどうか????
伝統工芸品のときの”伝統”とはAをAとして伝え続けているところに意味があります。まさに”統べて伝え”ている。織物や陶芸などは目標が形として存在しているので、製作する方法が作る人の個性より優先される、あるいは重要視されます。したがって人を離れたところに価値(伝統)が存在する。
音楽の世界でも作曲に伝統はありえます。楽譜というものがありますから、、(ただ、正確に伝統にのっとった作曲に価値あるものはあるでしょうか??名曲の歴史は伝統の破壊の歴史のよう?)
ところが演奏芸術に伝統って言葉、意味があるでしょうか? 過激な言葉で恐縮ですが、演奏とは”他人のレール(楽譜)の上を、よろけながら(自分の感性の反応)で習得した技術レベルにのっとって進む”ようなものではないでしょうか?
聴き手が演奏に感動する時とは、演奏家が作品から得た感動に共感あるいは驚嘆した時であるなら、演奏家の感動(あるいは演奏の価値)とは極めて個人的な感覚に基づくものなので、他人には伝えられない、つまり”伝統”には関係ないところにあるはずです。
”彼はドイツ系の指揮者だ”という言葉や”有名な作曲家の弟子だ”とかいう言葉で、演奏を”聞く前”から感動できませんよね。(実を言うと時々単純に感心してしまいますが、、、苦笑)
この辺の事情をすばらしく説明してくれるのが、ピアノロールです。とても丁寧な仕事でピアノロールを演奏録音しているものがあります。しかし、たとえばその中のパデレフスキーを聴いて、そのデジタル録音のピアノロールと同時代に録音されたラッパ吹き込みを比較したとします。その結果、ピアノロールのほうがパデレフスキーをよりよく伝えているとは、私には到底思えない。 ”霊感”はラッパ吹き込みの中にあり、ピアノロールには”工夫”はあるが、”霊感”はない。 どうしてそうなるかというと、ピアノロールには音を聴いている演奏者、出てくる音によってその場その時にゆれる弾き手の精神(いや、そういう難しい言葉はやめて生理といったほうがいいかも)が抜けているからです。
もし、パデレフスキーに弟子がいて、その人は自分を捨てて彼のすべてを吸収し、聞き知ったとおりに演奏できるようになったとします。その何十年後かに日本で彼が演奏したとして、(最高に伝統的なはずです)かれが私たちに伝えられる最高の演奏レベルは、残酷な言い方ですが、ピアノロールと同等あるいはそれ以下でしかないでしょう。
長くなってしまいましたが、伝統という言葉が空疎に感じたのはこんな風に思ったからです。
では、われらがシューリヒトが伝えたかったのはなんだったのか? それは、純粋に技術上の事だったとおもいます。先人や自分が工夫した演奏技術を伝えたかった。それはパレットを豊富にするもので、演奏表現の選択肢を増やすものだった。単に美しく滑らかに演奏すればよいのなら、合理的な奏法に勝るものはないでしょう。しかし、にごった響き、きつい響きに意味があるときもあります。世代ごとに聴き継がれてきた響きの記憶とそれを生む弾き方を伝えることで、強制ではないにしろ、”昔”を伝えたかったのではないでしょうか?そうか、先人の知恵を伝えたかったんですね。
私の個人的な妄言かもしれませんが、、、シューリヒトのいう”必要な謙虚さ”とはそういうことだったと思います。
追伸 ピアノロールを聴くのは大好きです。2世代、3世代まえの工夫を楽しく聞き取れるからです。話の流れの中で否定的になってしまいましたが、積極的にお勧めしたいぐらいです。
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投稿者:ケロヤン 投稿日:2012年11月 4日(日)14時02分4秒 | 返信・引用 |
| > No.2510[元記事へ]
信一さん
私も興味深く読ませていただきました。 ありがとうございました。改めて私もゆっくり考えてみたいと思います。
あと以前から気になっていたのですが、よく「ドイツの伝統」ということが言われますが、 私はかなり、本来は内面的なことを指すのではないかと考えています。
フルトヴェングラー、ヨッフム、カイルベルト、ケンペ、コンビチュニー、ベームetc. 我らがシューリヒトもそうですよね。でもいずれの指揮者も芸風は違っていますよね。この「ドイツ的な」あるいは「ドイツの伝統」といった形容といったものはどのように解釈されればいいのでしょうか?
信一さんへのお返事です。
> ケロヤンさん > > 返信ありがとうございます。 > ご意見読んでいろいろ考えさせられました。ただテーマがおおきいので、いろんなことを考えすぎてレスが遅れてしまいました。 > > サバリッシュとシューリヒトでは世代がかけ離れていますね。 > > 簡単に言うと、第1次世界大戦前に青春時代を迎えた人と第2次大戦後の人の違いです。戦争が与えた精神的物質的な変化は相当なもので、これだけでも考え方の違いは決定的なんですが、それ以外にも、 > > 1.音楽を生演奏以外の手段では聴くことができなかった時代とラジオや蓄音機で享受できるようになった時代の違い。 > 2.音楽の伝統を伝承を通じて感性で経験を積む時代とある程度学問的な基礎の上に実践を積む時代 > > の違いがあると思います。 > > 1.は演奏者と聴衆の関係をまったく変えてしまった。 > シューリヒトの時代、作品に対して演奏したり聴いたりすることはほぼ同じレベルの音楽体験だったと思います。そして、演奏者と聴衆は同じコミュニティの中にいた。音楽会とは音楽を精神的な糧とする”仲間”の催しであったわけです。 > シューリヒトが音楽都市WIESBADENを夢見て長くととまったのも演奏者と聴衆の一体化を目指したからでした。聴衆の啓蒙に努力したのも、聴衆のレベルも音楽文化の重要事だったからでしょう。 > そういえばフルトベングラーがナチとの軋轢があってもドイツを離れられなかったのは彼の”聴衆”が必要だったからでしたね。 > > しかし、ラジオや蓄音機の普及で、音楽は急速にエンターテイメント化して、演奏者と聴衆は供給元と消費者の関係になってしまった。そうなると、”プロ”の演奏者として求められるものはまず音再現の正確度になるでしょう。(精神再現ではなく音再現です) > 演奏行為の目的が作品に対する演奏者の感動の表明から楽譜の正確な再現に取って代わってしまった。 > オーケストラビルダーと呼ばれるような傾向の指揮者がいますが、もてはやされ始めたのはすくなくともヨーロッパでは第2次大戦後のことです。(もしかしたらこれをアメリカナイズと言うのかもしれない) > このときにヨーロッパの伝承芸術としての”演奏”は死んでしまったんですね。 > > シューリヒトにとってサバリッシュの改革はまさに文化、伝統の破壊と写ったでしょう。サバリッシュにとっては、例えば、点在する専門店しかない町にスーパーマーケットを作って便利にしたのになぁと言うところだったでしょう。 > > 2.は簡単に触れられて終わりになる傾向がある話ですが、とても重要だと思います。シューリヒトの時代は、楽譜以外の解釈についての情報(演奏ノウハウ)がきわめて限られていた時代と想像できます。まず楽譜と先輩音楽家の助言、それまでの表現の慣習、それらを元に現場での工夫を自分の感性を頼りに重ね積みていくわけです。そのプロセスが、前の世代の伝統を正しく引き継ぐ最良の方法と信じられていたと思います。 > ところが、戦後は、演奏法も科学的に吟味され、戦前では考えられなかった名人も生まれてくる。ただ、それはニュートラルで時代の匂いが抜けているものです。 > カラヤンフィルの奏者はシューリヒトの助言や工夫を古くさい、もはや有用ではないものと考えたのでしょう。しかし、シューリヒトはそうした工夫を通じて時代の匂い(伝統)を伝えたかった。受け入れない彼らに伝統の軽視を感じたのでしょう。 > もしかしたらシューリヒトが受け継いできた伝統をもっともよく受け入れたのはフランスのオーケストラだったのかもしれないですね。 > > それから、あるサイトでシューリヒトのブルックナーの解釈が構造を破壊していると言うような文章を見ましたが、クナやシューリヒトの時代にそうした分析結果が一般的に権威を持って流布していたのならともかく、そうでないわけですから、そうした観点から批判するのはどうかと思いました。当てる物差しが違いますね。彼らの時代の演奏を聞くときは、彼らが生きた時代の感覚をタイムスリップして受け取るべきで、今の価値基準では?なんてところからはじめるべきじゃないと思います。 > > 1900年の前後10年くらいの時代背景からシューリヒトやクナやフルトベングラーの演奏法を説明するような批評がほしいですね。 > > > > > > > | | |
投稿者:修理人 投稿日:2012年11月 3日(土)12時04分27秒 | 返信・引用 |
| 信一さん
こんにちは。 興味深く読ませていただきました。
>サバリッシュにとっては、例えば、点在する専門店しかない町に >スーパーマーケットを作って便利にしたのになぁと言うところだったでしょう。 とても分かりやすいたとえですね。
ベルリン(カラヤン)フィルとの話も、なるほどと納得しました。 フランスのオーケストラとの関係も。
さすが! | | |
投稿者:信一 投稿日:2012年11月 2日(金)22時29分48秒 | 返信・引用 編集済 |
| > No.2498[元記事へ]
ケロヤンさん
返信ありがとうございます。 ご意見読んでいろいろ考えさせられました。ただテーマがおおきいので、いろんなことを考えすぎてレスが遅れてしまいました。
サバリッシュとシューリヒトでは世代がかけ離れていますね。
簡単に言うと、第1次世界大戦前に青春時代を迎えた人と第2次大戦後の人の違いです。戦争が与えた精神的物質的な変化は相当なもので、これだけでも考え方の違いは決定的なんですが、それ以外にも、
1.音楽を生演奏以外の手段では聴くことができなかった時代とラジオや蓄音機で享受できるようになった時代の違い。 2.音楽の伝統を伝承を通じて感性で経験を積む時代とある程度学問的な基礎の上に実践を積む時代
の違いがあると思います。
1.は演奏者と聴衆の関係をまったく変えてしまった。 シューリヒトの時代、作品に対して演奏したり聴いたりすることはほぼ同じレベルの音楽体験だったと思います。そして、演奏者と聴衆は同じコミュニティの中にいた。音楽会とは音楽を精神的な糧とする”仲間”の催しであったわけです。 シューリヒトが音楽都市WIESBADENを夢見て長くととまったのも演奏者と聴衆の一体化を目指したからでした。聴衆の啓蒙に努力したのも、聴衆のレベルも音楽文化の重要事だったからでしょう。 そういえばフルトベングラーがナチとの軋轢があってもドイツを離れられなかったのは彼の”聴衆”が必要だったからでしたね。
しかし、ラジオや蓄音機の普及で、音楽は急速にエンターテイメント化して、演奏者と聴衆は供給元と消費者の関係になってしまった。そうなると、”プロ”の演奏者として求められるものはまず音再現の正確度になるでしょう。(精神再現ではなく音再現です) 演奏行為の目的が作品に対する演奏者の感動の表明から楽譜の正確な再現に取って代わってしまった。 オーケストラビルダーと呼ばれるような傾向の指揮者がいますが、もてはやされ始めたのはすくなくともヨーロッパでは第2次大戦後のことです。(もしかしたらこれをアメリカナイズと言うのかもしれない) このときにヨーロッパの伝承芸術としての”演奏”は死んでしまったんですね。
シューリヒトにとってサバリッシュの改革はまさに文化、伝統の破壊と写ったでしょう。サバリッシュにとっては、例えば、点在する専門店しかない町にスーパーマーケットを作って便利にしたのになぁと言うところだったでしょう。
2.は簡単に触れられて終わりになる傾向がある話ですが、とても重要だと思います。シューリヒトの時代は、楽譜以外の解釈についての情報(演奏ノウハウ)がきわめて限られていた時代と想像できます。まず楽譜と先輩音楽家の助言、それまでの表現の慣習、それらを元に現場での工夫を自分の感性を頼りに重ね積みていくわけです。そのプロセスが、前の世代の伝統を正しく引き継ぐ最良の方法と信じられていたと思います。 ところが、戦後は、演奏法も科学的に吟味され、戦前では考えられなかった名人も生まれてくる。ただ、それはニュートラルで時代の匂いが抜けているものです。 カラヤンフィルの奏者はシューリヒトの助言や工夫を古くさい、もはや有用ではないものと考えたのでしょう。しかし、シューリヒトはそうした工夫を通じて時代の匂い(伝統)を伝えたかった。受け入れない彼らに伝統の軽視を感じたのでしょう。 もしかしたらシューリヒトが受け継いできた伝統をもっともよく受け入れたのはフランスのオーケストラだったのかもしれないですね。
それから、あるサイトでシューリヒトのブルックナーの解釈が構造を破壊していると言うような文章を見ましたが、クナやシューリヒトの時代にそうした分析結果が一般的に権威を持って流布していたのならともかく、そうでないわけですから、そうした観点から批判するのはどうかと思いました。当てる物差しが違いますね。彼らの時代の演奏を聞くときは、彼らが生きた時代の感覚をタイムスリップして受け取るべきで、今の価値基準では?なんてところからはじめるべきじゃないと思います。
1900年の前後10年くらいの時代背景からシューリヒトやクナやフルトベングラーの演奏法を説明するような批評がほしいですね。
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投稿者:ケロヤン 投稿日:2012年10月21日(日)09時48分41秒 | 返信・引用 |
| > No.2476[元記事へ]
信一さん
お返事ありがとうございます。
確かにシューリヒトは、ヴィスバーデン時代初期の頃から先輩楽員などに学びながら、 一方で時間をかけて寄せ集めオーケストラを鍛えると共に、聴衆を啓蒙し育てて いきましたよね。とても時間がかかる根気のいる仕事だったと思います。 伝記の中でも、特に、未来の聴衆となる子どもたちをリハーサルやコンサートに招き、やがては舞台に上げて歌わせてしまう。と記されたあたりは感動的であり、教育の原点をみるものでもありました。
そしてシューリヒトの素晴らしいところは、トスカニーニやメンゲルベルクのように押しつけた (硬直した)音楽の跡がないことだと思います。そこに彼の個性を強く感じてしまいます。
サヴァリッシュの改革は当然ではあったとしても、そこに潜む“芸術”の落とし穴のようなものに対してシューリヒトは警鐘を鳴らしていたのではないでしょうか? 後のベルリン・フィルでのエピソードからもそれは感じられると思うのです。“技術”ばかりが先行し、“こころのアンサンブル”が後退していく・・・・。昨今のオーケストラからは一様に素晴らしい音を聴くことが出来るようになりましたが、極端にいえば、どれを聴いても同じ感じがするもの足りなさもこうした弊害の一つではないかと思います。
ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の中で示された“ドイツ芸術の伝統”がシューリヒトにも脈々と受け継がれていたように感じます。
信一さんへのお返事です。
> ケロヤンさん > > ちょっと考えてみたいと思います。 > > 今回の話で問題としているのは、、、 > > 演奏会をするたびに寄せ集めの楽員まじりで演奏会をすることの是非です。 > > サバリッシュの要求はプロの指揮者として当然でしょう。寄せ集めでは技量レベルを管理できませんし、アンサンブルの強化もおぼつかない。 > > この要求を解決して、プロのオーケストラとしての体をなしたサバリッシュにわれらがシューリヒトは怒りをぶつけるわけです。なんで??? > > 修理人さんのHPのWIESBADEN時代の演奏会の記録を見ると、やたらと”増強されたオーケストラ”と言う表現がされている。要するに寄せ集めですね。これまで、温泉地のオーケストラでまともな曲をするために大変だったろうなぁと言うような感想しかなかったのですが、今回のエピソードで見方が変わりました。 > > シューリヒトは寄せ集まる”やる気のある”人たちとともに徹底した練習をしながら曲を仕上げ、常態のアンサンブルが陥りやすいルーティンから開放され、集中した新鮮な感動をもった演奏会を作り上げる、そういうことを”伝統”としていたのではないでしょうか? > バイロイトなんかはまさにそういう精神から始まってますよね。 > マーラーの大曲の初演なんかも彼の音楽に心酔した音楽家がボランティアで参加してなりたっていたわけで、”寄せ集まる”というのはシューリヒトの時代には美徳としてあったのだと思います。 > > こういう”伝統”の下では、指揮者は徹底的に自分の考えを注入することが可能です。自分を慕ってくる楽員と演奏するんですから、、機械的なアンサンブルは向上しないかもしれないが、心のアンサンプルはしっかりする。そしてなによりも金のための演奏ではなく音楽のための演奏になる。 > シューリヒトが怒ったのはサバリッシュがこういう演奏精神を否定して興行的な結果を安易に求めたことにあったのではないでしょうか? > > とはいえ戦後復興が目覚ましいとき、このような美徳が成り立っていたかちょっと疑問ではあります。また、カリスマ的な人が指揮者としていなければ、低レベルの数合わせになることも十分考えられます。実務的に言えば、サバリッシュの改革はただしいですね。 > > > > > | | |
投稿者:修理人 投稿日:2012年10月20日(土)10時52分36秒 | 返信・引用 編集済 |
| 昨日、HMVから届きました。さて、データを入力しないと。 それにしても、どうしてCDの紙袋のフタを糊付けしているのか、、。 | | |
投稿者:信一 投稿日:2012年10月14日(日)11時45分3秒 | 返信・引用 |
| 修理人さん
生涯と芸術の150ページ、1954年のモントルーでの第9に参加した合唱団についての記述があります。 ”ワインつくり、農夫、職人、町や村の小学校教師などの人々”が、どのようにしてこの第9を歌ったか、これを読むとシューリヒトがWIESBADENで伝統として大切にしていた寄せ集めの意味がわかります。
それに対して246ページのベルリン(カラヤン)フィルとのエピソード、”何人かの楽団員たちは自分を過信しているらしく感じられるのだよ。自分の学ぶことは最早何もないとおもっているにちがいないのだね。自分の芸術に対して、真の意味で必要な謙虚さを失っているんだよ”
聴衆にどういうパフォーマンスを見せるかと言うことだけ考えているなら、こんなことをかんがえる必要はないでしょう。正確に演奏それもうつくしい音で演奏してくれれば、自分の名声も上がると言うもの、、ふふふ てな感じですね。
”真の意味で必要な謙虚さ”この言葉の意味を考えることが、シューリヒトの思っている伝統を理解する鍵ではないでしょうか? | | |
投稿者:修理人 投稿日:2012年10月13日(土)11時41分16秒 | 返信・引用 |
| 信一さん
こんにちは。 なるほど、そういうふうに考えると シューリヒト氏の怒りも納得できますね。 サヴァリッシュ氏には、意外な怒りだったでしょうけど。 | | |
投稿者:信一 投稿日:2012年10月12日(金)22時03分39秒 | 返信・引用 |
| > No.2475[元記事へ]
ケロヤンさん
ちょっと考えてみたいと思います。
今回の話で問題としているのは、、、
演奏会をするたびに寄せ集めの楽員まじりで演奏会をすることの是非です。
サバリッシュの要求はプロの指揮者として当然でしょう。寄せ集めでは技量レベルを管理できませんし、アンサンブルの強化もおぼつかない。
この要求を解決して、プロのオーケストラとしての体をなしたサバリッシュにわれらがシューリヒトは怒りをぶつけるわけです。なんで???
修理人さんのHPのWIESBADEN時代の演奏会の記録を見ると、やたらと”増強されたオーケストラ”と言う表現がされている。要するに寄せ集めですね。これまで、温泉地のオーケストラでまともな曲をするために大変だったろうなぁと言うような感想しかなかったのですが、今回のエピソードで見方が変わりました。
シューリヒトは寄せ集まる”やる気のある”人たちとともに徹底した練習をしながら曲を仕上げ、常態のアンサンブルが陥りやすいルーティンから開放され、集中した新鮮な感動をもった演奏会を作り上げる、そういうことを”伝統”としていたのではないでしょうか? バイロイトなんかはまさにそういう精神から始まってますよね。 マーラーの大曲の初演なんかも彼の音楽に心酔した音楽家がボランティアで参加してなりたっていたわけで、”寄せ集まる”というのはシューリヒトの時代には美徳としてあったのだと思います。
こういう”伝統”の下では、指揮者は徹底的に自分の考えを注入することが可能です。自分を慕ってくる楽員と演奏するんですから、、機械的なアンサンブルは向上しないかもしれないが、心のアンサンプルはしっかりする。そしてなによりも金のための演奏ではなく音楽のための演奏になる。 シューリヒトが怒ったのはサバリッシュがこういう演奏精神を否定して興行的な結果を安易に求めたことにあったのではないでしょうか?
とはいえ戦後復興が目覚ましいとき、このような美徳が成り立っていたかちょっと疑問ではあります。また、カリスマ的な人が指揮者としていなければ、低レベルの数合わせになることも十分考えられます。実務的に言えば、サバリッシュの改革はただしいですね。
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投稿者:ケロヤン 投稿日:2012年10月12日(金)15時33分39秒 | 返信・引用 |
| > No.2469[元記事へ]
信一さん
コメントありがとうございます。 ある種、「信念の人」だったのでしょうね。「頑固一徹」とはちょっと違っている気がしますが、 シューリヒトが人として持っていた矜持が何だったのか、もっと知りたくなりました。
前回はオフ会参加出来ませんでしたが、機会があれば皆さんのお話をお聞きしたいですね。
信一さんへのお返事です。
> ケロヤンさん > > 情報ありがとうございます。早速読んでみましたが非常に興味ふかい話ですね。 > シューリヒトが演奏する際に大事にしていたものは何であるのか、良くわかりました。伝記の中に現れるフランスの田舎町のオーケストラとの第9上演の話やベートーベンの録音をウィーンとやらずにパリでしたことなど、いくつもあったなぜを紐解く重要な”怒り”だとおもいます。 > > この話を元にみなでディスカッションができるとたのしいですね。 > > > > | | |
投稿者:信一 投稿日:2012年10月12日(金)06時06分7秒 | 返信・引用 |
| > No.2473[元記事へ]
修理人さん
> 信一さん > 考えてみたら、Jastrauの読みはヤストラウでしょうか?
ドイツ語読みですからヤストラオですね。(ラオは現実はローにきこえます) ただ、なぜか私の記憶の中もジャストローのイメージだったので、特に気にならなかったのです。 それで、いまちょっとインタビュー(2:14)を聞き返したのですが、なんとなくジャストローと聞こえるんですねぇ(苦笑) でも。(2:56)では間違いなくヤストローと発音してます。
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投稿者:修理人 投稿日:2012年10月11日(木)23時47分59秒 | 返信・引用 |
| 信一さん
考えてみたら、Jastrauの読みはヤストラウでしょうか? | | |
投稿者:信一 投稿日:2012年10月10日(水)17時59分0秒 | 返信・引用 |
| > No.2455[元記事へ]
ケロヤンさん
情報ありがとうございます。早速読んでみましたが非常に興味ふかい話ですね。 シューリヒトが演奏する際に大事にしていたものは何であるのか、良くわかりました。伝記の中に現れるフランスの田舎町のオーケストラとの第9上演の話やベートーベンの録音をウィーンとやらずにパリでしたことなど、いくつもあったなぜを紐解く重要な”怒り”だとおもいます。
この話を元にみなでディスカッションができるとたのしいですね。
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投稿者:信一 投稿日:2012年10月10日(水)17時38分19秒 | 返信・引用 |
| > No.2452[元記事へ]
修理人さん
インタビューの素敵な和訳ありがとうございます。 ここで登場するジャストロウさんですが、ヒトラーの前でヒトラー式挨拶をしたくないフルトベングラーに、指揮棒を持って登場すれば、、、とアイデアを与えたり、戦前シューリヒトがユダヤ系の奥さんに演奏を聞かせるのを手伝ったりと大活躍した人です。この人の伝記や回想録なんかあったらおもしろいんでしょうね。
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投稿者:ケロヤン 投稿日:2012年10月 7日(日)08時02分39秒 | 返信・引用 |
| 修理人様
ご入手おめでとうございます。 こちら図書館に蔵書がなく、近所の図書館にあるのをつきとめましたが、 まだ出かけておりません。中々、装丁の立派な本です。
感想等アップしていただければ幸いです。
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投稿者:修理人 投稿日:2012年 9月24日(月)22時49分48秒 | 返信・引用 編集済 |
| ケロヤンさん
こんばんは。ありがとうございます。しかし、 うっふっふっ、すでに古書店に注文しました。 新刊では、手に入らないみたいです。
P.S.届きました。結構、立派な本です。 | | |
投稿者:ケロヤン 投稿日:2012年 9月24日(月)22時10分52秒 | 返信・引用 |
| > No.2454[元記事へ]
修理人さんへのお返事です。
修理人さん
こんばんは! 私の勤めている学校の図書館にあったように思います。 2、3日内に調べてみますね。
> ケロヤンさん > > こんばんは。 > エピソードの紹介をありがとうございます。私には、まったく初めてのお話でした。 > サヴァリッシュとの手紙は、ローザンヌの図書館にありませんでした。 > こうなると、ヴォルフガング・サヴァリッシュ(真鍋圭子訳)「自伝 音楽と我が人生」(第三文明社)を買わないといけませんね。 | | |