シューリヒト掲示板発言 500−451(2003年)
はじめまして
ずっとROMで楽しませていただいていました。参加している皆さんの造詣の深さに驚きながら、たくさんのことを教えていただいていつも感謝しています。皆さんのいろいろな角度からの言葉の隅々にいつもシューリヒトその人と残してくれた音楽の数々への愛情があふれていて、シューリヒトを聴きながら読ませていただいて幸せな気持ちになります。
しばらく前に皆さんが自己紹介をしていましたので、私も少しだけ・・・
参加の皆さんの例に漏れずシューリヒトをこよなく愛する49歳、埼玉の山の中に在住、技術系会社員、マーラーよりもブルックナー、クラシックが好きだけどジャズも好き、のおじさんです。シューリヒトとに出会いは三十数年前、中学生の頃、コンサートホールの会員になって、初めて聴いたのが”真夏の夜の夢”でした。このアルバムの最後にある”フィンガルの洞窟”を聴いたとき、海辺の洞窟を吹き通る風を感じたような気がして、とても好きになりました。その後聴いたブラームスの4番もトスカニーニの厳しさともワルターの甘さとも違う別の曲のようで、押し付けがましさが全くなく自然に音楽の中に浸ることができて、それでいて聞き流すことができない不思議な強さがありました。コンサートホールのレコードは音の悪さで有名?でしたが、その中で後期のノイマンSX68カッターヘッド使用のものは比較的音がよく、ブランデンブルク協奏曲は、ブーレーズがフランス国立とやった春祭と並んでとびきりよい音だったと思います。更に、を期待したのですがScribendum では裏切られてしまいましたね。
ということで、シューリヒトを聴き続けて、いまだに聴く度に新鮮な何かに出会える不思議な魅力にはまっている一ファンです。
ところで、最近、昔のレコードを引っ張り出してみたら、コンサートホールのジャケットでは”フィンガルの洞窟”は S.D.R. Symphony Orchestra, Stuttgart となっているのですが、少し前に、”DENONのCDでは南西ドイツ放送響と書かれていた・・・”というお話がありましたがどちらが正しいのでしょうか?ご存知の方がいらっしゃったら教えてください。シューリヒトが演奏した素敵な曲ということに変わりはないのでどちらでもいいこと、といえばいえなくもないのですが。そういえば、この曲の演奏ではRTSIのものがより自然でしかも華があり気に入っています。このERMITAGEのRTSIとの3曲はどれもすばらしいと思います。RTSIというオケのことを全く知りませんが、シューリヒトにとって馴染み深いオケなのでしょうか?どのオケでもすばらしい演奏をするってすごいことですね。
ジャケットの話ついでに・・・コンサートホール盤の解説には
”・・・現在ドイツ楽壇の長老として、その83歳の老齢でなおはなばなしい活躍をみせている人、・・・、決して誇張しすぎないおだやかさのうちに、音楽の求める発言を、いつの間にかきっぱりとききての心に記しつけているというタイプの音楽家で、押しつけがましくないその解釈は、むしろ好ましく素直にききいることのできる安定性を持っている。・・・”と書かれていました。まだ、現在形のシューリヒトがここにいて、多分、このレコードを手にした頃、亡くなったんだなあ、と思うと不思議な感慨を禁じえません。これからも一生聴き続けるに値するかけがえのない存在です。この掲示板も同様にとても貴重です。これからときどき参加させていただきますのでよろしくお願いします。
こんにちは。
届いたので早速聴いてみました。
まず9番は、手持ちのITM盤に比べて、おとなしい音質になっています。ITM盤でも私は文句ありませんが。まだ全部を通して聴いていませんが、第1楽章2分40秒あたりで音が不安定になっているのに気付きました。
19番は、ITM盤に比べて音質の改善が著しいですね。ITM盤は、第1楽章の出だしが、いかにも古い録音という音色ですが、ヘンスラーはずっとまともです。
皆さんのマーラー談義に触発されてTRESOR盤を入手し、シューリヒトの振る「大地の歌」を聴きました。もともと私もマーラーは得手ではなく、これまで出来るだけ避けてました。ただ、クレンペラーの演奏する「大地の歌」を耳にしてから、この曲だけは好きになりました。今回初めて体験したシューリヒトのマーラー。当時の歴史的背景も踏まえながら改めて聴くと、なんだか会場の緊迫感のようなものがこちらにまで伝わって来るようでした。とにかく凄い演奏だと思います。
大内さま
こんばんは。
それでは、また改めての機会をお待ちしますね。
以前にも書き込みましたが、私もまだマーラーにはついて行けません。
やはり聴き込まないといけないのでしょうね。
ブルックナーにくらべると、マーラーを聴く機会はそれほどありません。どちらかというと、ブルックナーの方が心地よいものですから、、。
修理人様へ。お申し出、光栄です。しかし、一応のエッセイに、体裁だけはなっていますが、この掲示板だけの文章のつもりでした。シューリヒトの『大地の歌』は、こういう世界情勢でない時に、時間をおいて、もう一度、聞き直そうと思っています。正直のところ、小生の演奏自体の評価は、第3番を名演と思える程には、余り高くないのです。まだ、よくわからないところがあります。陶酔できませんでした。時間を、掛けてみようと思っています。第2番『復活』も、まだ聴いていません。将来、再度、挑戦します。
楽古堂・大内さま
こんにちは。
長文解説ありがとうございます。
歴史の知識がない私にも、オランダのたどった歴史が良くわかりました。
これもウェブの方に掲載させて頂いてよろしいでしょうか?
女性が発した言葉の解釈については、おっしゃるとおり詮索しても(結論が出るわけでもなく)仕方がないのかもしれません。
しかし、私にはあの演奏は、充分陶酔させてくれるものだったと思います。録音のせいかもしれませんが、凄みも感じますし。
やはり私には従来の解釈(ナチシンパ説)がしっくりきます。
シューリヒトの『大地の歌』について(3)
4・小さな事件
そこで、ひとつの当時を象徴するような小さな事件が起こった。第6楽章の『告別』の第二の部分が開始される直前のことである。
最前列の席に座っていた婦人が立ち上がった。指揮台によってきた。オランダ人のアクセントがあるということだが、区別がつかない。
「世界に冠たるドイツ帝国ですよ。シューリヒトさん!」
それだけを言うと、会場を出ていったのである。穏やかな声という記述もあるが、僕の印象は異なる。険高い声に、苛立ちが表現されているようにも思える。盤にも声は明瞭に記録されているので、各自の耳で判断してもらいたい。
当時のマスコミ各紙は、シューリヒトが「続けることにためらいを見せた」とも、「振り向いて首を振った」とも、「顔面蒼白」であったとも、さまざまに報じている。要するに、よく見えなかったのではないだろうか。(テープに編集がなされていなければ、)音楽は連続しているので、「続けることにためらいを見せた」は、ありえないと思う。直後のズンズンズンという重い連打音は、シューリヒトの足踏みであろうか?
第6楽章の第1部までのシューリヒトの『大地の歌』の解釈は、劣悪な録音からも明瞭に聞き取れる。
大地とは、どこにあるか?
ドイツでもオランダでもない。ヨーロッパのどこでも、ユダヤの約束の土地でも、ましてや中国でもない。人間の国家の、主権の及ぶところではない。それは、マーラーが創造した、音楽という精神の世界の領土にある。神が地球を創り、オランダ人がオランダを造ったように、マーラーは自分の音楽の大地を、作り上げたのである。
シューリヒトには、ドイツもユダヤもメンゲルベルクも眼中にない。ロマンティシズムではなくて、純粋な音楽美をもって、その遥かな大地の光景を信じるままに描きあげていく。修理人さんの『コンサート・リスト』には、すでに1921年10月27、28日に、ウィーン交響楽団でこの曲を指揮しているという記載 がある。場所は、ウィーンのコンツェルトハウスの大ホールであった。
第1楽章から、ホルンで提示されるあの主題が、明瞭に展開されていく。
第3楽章の、中国音階の深い魅惑。第6楽章が開始されてからの、管楽器の小鳥たちの不安なさえずり。
シューリヒトの音楽の自由さが、ストレスのたまっていた婦人の神経を、逆撫でしてしまったのではないかと思う。婦人が、どこで立ち上がったのか、もう我慢できなくなったのかが、重要だと思うのだ。それは終楽章の、死を「わが友」と讃える詠唱の直前である。
婦人は、こう言いたかったように僕には思える。
シューリヒトさん。わたくしは、この戦争の恐怖を少しでも忘れたくて、このコンセルトヘボウの音楽会に来ました。メンゲルベルグさんならば、もっと濃厚なロマンティシズムの香りで、わたくしを酔わせてくれます。陶酔させてくれます。それなのに、あなたは、なんと醒めていらっしゃるのでしょう。どうして、あなたの大地には、こんなに救いがないのでしょう。暗いのでしょう。そら恐ろしいぐらい……。
死を「わが良き友」と呼び掛けるような、不健康で恐ろしい音楽を、これ以上、聴いているわけにはまいりません。帰らせて頂きます。死は、すでにわたしたちの国境まで迫っておりますもの。でも、もう少し、東プロイセン人のあなたには、ドイツ人指揮者としての誇りを持って頂きたいですわ。
なにしろ……。
「世界に冠たるドイツ帝国ですよ。シューリヒトさん!」
僕は、そう判断する。しかし、歴史の闇に立ち去っていった婦人の心理を、これ以上詮索しても無益だろう。『大地の歌』を、自分の耳で評価して頂くための準備をしただけである。
5・歴史の証言
終楽章でもスウェーデン人のメゾ・ソプラノ、トルボルク(Kerstin Thorborg 1896〜1970) の詠唱が見事である。事件の後も動揺することなく、シュー リヒトを支えている。ワルターとウィーンフィルとの1936年の同曲の演奏でも、名演を成し遂げている人である。1938年にナチスによって、オーストリアが併合されてからは、活動の拠点をアメリカに移していた。「アルトのカルーソ」と呼ばれた人だけに、メゾとしても声に低い印象がある。抑制された表現に、腹の据わった重みを加味している。
この演奏を、録音状態も含めて、たとえばバーンスタインやワルターの『大地の歌』よりも上位に置くつもりは、もとよりない。歴史の証言となる記録が、ここにもあると言いたいだけのことである。
「生も暗く、死もまた暗い」
ナチス=ドイツが滅び、オランダとアムステルダムとシューリヒトとマーラーの音楽が生き残った。
20世紀の音楽の記念碑として、シューリヒトの演奏の中でも別格の録音であろう。
(2003・04・01 イラク戦争のさなかに。)
シューリヒトの『大地の歌』について(2)
3・第二次大戦
シューリヒトは、演奏の前年の1938年に、オランダのウィルヘルミナ女王から、それまでの音楽活動の業績を讃えて、オラニエ=ナッソウ章を、授与されている。日本の文化功労章のようなものであろうか。
同じドイツ人指揮者でも、アムステルダムと同じような港湾都市であるダンツィヒ出身の東プロイセン人のシューリヒトは、戦時下のアムステルダム市民にとって、もっとも抵抗感の少ない選択肢であったと思われる。
9月1日には、独軍がポーランド侵攻を開始している。第二次大戦の勃発である。シューリヒトの生れ故郷、ダンツィヒも戦火に巻き込まれていく。9月3日、英仏が独に宣戦を布告する。しかし、最新鋭の軍備と戦法による、独軍の攻撃は苛烈を極めた。ゲーリング配下の空軍が、ポーランド領土内の主要な軍事施設を破壊した後で、150万人からなる 地上軍が、四方八方から進軍を開始している。急降下爆撃機、装甲部隊、それに歩兵部隊をシステマティックに関連させたナチス=ドイツの襲撃作戦は、人類が初めて体験する強力なものだった。9月27日に、首都ワルシャワが陥落する。再興されたポーランドは、もろくも地上から消えた。
この危急存亡の時にあたって、ユダヤ人マーラーの音楽を、ドイツ人指揮者が振るのである。聡明な知識人であるシューリヒトは、身の危険を感じていたであろう。それでも、彼はアムステルダムに入る。気骨のある指揮者の棒に、メンゲルベルクの強い影響下にあったコンセルトヘボウ管弦楽団が、誠実に反応している。最晩年の1964年、この時から25年後の、オランダのハーグ・フィルとのブルックナーの『交響曲第7番』の名演は、一朝一夕に成就されたものではないのだ。
シューリヒトの『大地の歌』について
楽古堂主人・大内史夫
Benjamin Maso氏に
1・アムステルダム
オランダという国名を聞くと、反射的に土地という言葉を連想する。国家や国体というような目に見えない観念ではない。もっと手応えのある現実の場所のことである。自分が今、二本の足で立っている地面のことである。
オランダの面積は、日本の九州よりもやや広い。その内の約20%は、人間が作ったものである。われわれが、チューリップの花畑とともに連想する、一見のどかな風車の光景も、現実には干拓のための排水をする設備である。人間が自然と戦い征服するための道具であった。
「地球は神様が創った。オランダはオランダ人が造った。」
そんな諺が、あの土地にはあるそうだ。
首都のアムステルダムは、アムステル川の水をダム(堤防)によって、塞き止めて作った土地ということである。ここは、北欧貿易の中心地であった。いわゆる仲介貿易の市場として繁栄した。アムステルダム銀行は、世界の金融市場の中心地であった。コンセルトヘボウ管弦楽団は、その土地に活動の本拠を定めていた誇り高いオーケストラである。
オランダは、第一次大戦においては中立を維持した。だが、1940年5月10日には、独軍の奇襲を受けて占領される。アンネ=フランクとその家族を、危険を犯しながらも市民がいかに守ったか。われわれ日本人が『アンネの日記』によって、よく知るところである。
そのわずか七ヶ月前の1939年10月5日に、カール・シューリヒトが、マーラーの『大地の歌』を演奏している。ライヴの貴重な記録が残されている。「ART OF CARL SCHURICHT.1」(TRESOR FTS0104-3)オーケストラは、コンセルト ヘボウ管弦楽団。直前に演奏をキャンセルした、メンゲルベルクの代役であった。
回り道をする。オランダ史を、もう少し振り返ってみたい。
2・オランダ史
オラニエ家は、南仏のオランジュ市に由来する家系である。16世紀に所領がナッソウ家によって引き継がれた。同家のウィレム1世(1533〜1584)を盟主 として、スペインからの独立運動が展開される。いわゆるオレンジ(オラニエ)公ウィリアム、その人である。
1559年に、彼とともに独立運動を起こした人物が、有名なエグモント公である。ゲーテの同題の戯曲に描かれ、ベートーヴェンが『エグモント』序曲を捧げた人物である。逮捕され、死刑に処せられている。しかし彼の活躍もあって、ユトレヒト同盟を北部の7州の間で締結する。これが力となって、1581年、スペリン領ネーデルラントからの独立を果たした。ネーデルラント連邦共和国の成立である。(なお、オランダは、この7州のひとつであるホラント州の俗称である。日本では、こちらの名前が定着している。)
ウィレム1世の死後、オラニエ=ナッソウ家の血は、オランダ王家に受け継がれていく。シューリヒトが、音楽監督を努めていたヘッセン=ナッソウ州の州都ヴィースバーデンは、ナッソウ家と関係の深い土地である。
mare様へ。なるほど、納得しました。小生のScribendum盤(SC011)の「ブランデンブルグ協奏曲第5番」は、何度かけなおしても冒頭の一音が欠落(!)しています。傷かもしれませんが、そのデジタル化の劣悪さからしても、イアン・ジョーンズ氏が手を抜いたのは明らか。怒りを通り越しております。ケロヤン様へ。試聴感謝。ハスキルのピアノの音は、まろやかなはずなのですが。スピーカーBCII、アンプD-40。ともにSPENDORの25年選手です。
mareさん
こんばんは。
お久しぶりですね!お元気ですか?
最近はCDのラッシュで、リストの更新が大変です。
VIRTUOSOは、たしかに破格の値段でファンには嬉しいところです。
すでに既出盤を持っている場合には、少しくやしいですけど、、(^_^;
楽古堂・大内史夫様 ようやく聴くことができました。
私も既出の盤と比較してみましたが、私の装置では驚く
ほどの改善は残念ながらみられません。既出盤の方が固めの
音質ですが、一聴すると既出盤の方が聴きやすいかもです。
しかしハスキルのピアノの音はヘンスラー盤の方が、まろやかで
柔らかいと思います。そういう意味ではバックのオケ共々、音の柔ら
かさは増したかなとも思います。元々のマスターがおそらく
モノラルで固めの音質だと思われますので、少しマイルドに
なったのでしょうか。ただ装置によっては、ややボケた感じに
も聴こえるかもしれませんね。
会社のラジカセで聴いていたときは、オヤッと思ったのですが、
それほどでもないようです。ただ、これは私の装置での話ですが、
(CD=SONY、アンプ=KENWOOD、スピーカー=YAMAHA)
他の皆さんは、どう聴かれたのでしょうか。
初投稿早々にあまり音楽的ではない話題を提供してしまい失礼いたしました。
CDから読み出したデジタルデータが一致するということから、
おっしゃる通り同じ「マスター」からCD化されたものだと考えられますが、
アナログのテープ等からのデジタル化の場合、他者と全く同じデジタル変換をすることは技術的にまず不可能です
ので、「マスター」としては「他のCDから読み出したデジタルデータ」「同じデジタルのマスター」の二通りが
考えられると思います。
ただ、同じVIRTUOSOのブラームス集のブラームス2番の1楽章もやはり伊/ORIGINALS盤と全くデータが一致しま
したので、個人的には既発のCDからのコピーではと思っています。
(この演奏は Archiphon, Chaconne, MELODRAMと同じものですが、これらとはデジタルデータは一致しませんで
した)
他の演奏につきましても、いずれ時間があれば調べてみようとは思っています。
ただ、このシリーズは廉価でシューリヒトの音楽をいろいろと鑑賞することができる、ということでは個人的に
非常に感謝しています(非正規音源盤の是非はさておきの話ですが...)
ちなみに VIRTUOSO は今後セルのセットも発売する予定のようです。
ご質問。 投稿者:楽古堂・大内史夫 投稿日: 4月 7日(月)17時32分00秒
mare様へ。はじめまして。シューリヒトのブラームスは、小生も大好きなレパートリーです。よろしくお願い申し上げます。ご質問なのですが、以下のメールのような内容で同一だった場合に、同じテープをマスターとして作成されたCDだから、同一の結果になるということはないのでしょうか?小生、CD−Rは高価だったので、一枚も持っておりません。しかし、購入したい盤があります。機械に弱いのです。御教示頂ければ幸甚です。
よろしくお願いいたします 投稿者:mare 投稿日: 4月 7日(月)00時16分50秒
はじめまして。はじめて投稿させていただきます。
Archiphonのブラームス2番に接して以来シューリヒトの魅力に惹かれ、
以前は自分でシューリヒトのディスコグラフィなどを作成していたのですが、
仕事の忙しさでしばらく離れていましたが、
最近 VIRTUOSO のCDなどでまたシューリヒト熱が再燃いたしました。
こちらの掲示板ではいろいろな興味深いお話が語られていますが、
お仲間に入れさせていただければと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
ところで、最近大量に出たVIRTUOSO盤ですが、
どうやらこれまでのCD-R盤等ののデジタルコピーが多いようです。
音質が似ていると思い、先日ブラームスのピアノ協奏曲第2番の第1楽章を
VIRTUOSO盤とCouplet盤CD-Rとでデジタルデータの比較してみましたが、
4500万ポイントのデータすべてが1ポイントの狂いもなく全く同一でした...
他の曲は比較はしていませんが、他のものも同様であれば
値段の高いCD-R盤を買わなくても良いのかもしれません。
モーツァルト・少年の響き2 投稿者:楽古堂・大内史夫 投稿日: 4月 6日(日)10時18分47秒
同曲の演奏は、フランスのレコードを架蔵しております。IPG7618。二人の演奏者の清潔な人柄と、モーツァルト少年への愛情さえ感じられる、あたたかい演奏。今回のCD化の音質さえよければ、シューリヒトのモーツァルトの中でも屈指の名盤になることでしょう。信一さんの情報でも評価が高く、期待できるのではないかと思っています。
モーツァルト少年の響き。 投稿者:楽古堂・大内史夫 投稿日: 4月 4日(金)23時28分01秒
ケロヤン様へ。小生の所持するモーツァルトのピアノ協奏曲第9と19番。CD番号は、ITM950021。クララ・ハスキルとシュツットガルト放送交響楽団。このCDには、一度も感動した記憶がありません。鈍くこもったような録音のせいだと思っています。今回のヘンスラー盤では、音質の改善がなされておりますでしょうか?もう少し、比較試聴のレポートをして頂けたら幸甚です。
ヘンスラー盤発売されましたね。 投稿者:ケロヤン 投稿日: 4月 4日(金)14時27分12秒
モーツァルトのピアノ協奏曲発売されましたね。
まだ会社のラジカセで聴いた位なのですが、
音質良好だと思います。ハスキルのタッチが少しクリアーに
なり、バックのオケのニュアンスもより感じられる気がします。
家でまたゆっくり聴き直します。
先ずは、ご連絡まで。
私にとっての思い出のコンサート。 投稿者:KURO 投稿日: 4月 2日(水)20時17分33秒
クラシックの世界を知ってまだ日が浅いので、皆さんのような羨ましい演奏会にはとてもかなわないのですが。自分にとって深く印象に残っているものとしては、晩年のリヒテルのピアノ・リサイタルです。ピアノの音色が心にシミワタル感じを受けたのは、この時が初めてでした。とても感動したことを憶えております。
ご質問。思い出のコンサート 投稿者:楽古堂・大内史夫 投稿日: 4月 1日(火)20時20分15秒
修理人様へ。信一様へ。 海外でのコンサート体験、羨ましいです。小生は、1975年のベームとウィーンフィルの来日講演。ブラームスの『交響曲第1番』を聴けたこと。生涯の宝です。終楽章で、前かがみになっていくベームの後姿は、どんどん小さくなっていくのに、オーケストラはどんどん大きくなって。コーダのコラール主題が、NHKホールの天井まで、黄金の十字架のように燦然と聳え立ちました。掲示板にお集まりの皆様の、「思い出のコンサート」は何でしょうか?
Re: ヨーゼフ・クリップスについて 投稿者:信一 投稿日: 3月30日(日)18時33分22秒
kuroさん今日は
僕もあまり熱心に聞いてはいないのですが、prerudioのCDで、ブラームスの第1、ベートーベンの序曲集の2枚(ウィーン祝祭O、多分コンサートホール原盤)にDECCAのチャイコの5番をもっています。
世評は”味の人”なんですが、ブラームス第1は極大のスケールで凄みさえあります。持っていませんがシャンゼリゼのブラームスの第4のライブがそういう傾向をもつなら、味の人→スケール小さいという世評は当てにならなくなります。
レコード時代は後宮からの誘拐(ステレオのほう)が愛聴盤で、それこそ擦り切れるほど聞きました。あれは”味の人”だったなぁ… もしかすると曲によって表現を変えていたのではないでしょうか?
修理人さん
たしかクリップス夫人とシューリヒト夫人は友達だったのでは?とするとご亭主同士も仲がよかったのかな?
Re: ヨーゼフ・クリップスについて。 投稿者:toshiharu 投稿日: 3月30日(日)16時26分49秒
KUROさん、こんにちは。
>
>シューリヒトのページに他の名前を挙げてはいけないのかもしれませんが。初めてこの
ちょっとくらいはいいんじゃないでしょうか。
私も、クリップスは好きです。ゆったりしたコンセルトヘボウとのモーツァルトはいい
ですね。この組み合わせで、もっと聞きたいなと思うんですけど、あまり熱心でないの
で、そのままになってます。
何枚かクリップスのは持ってますけど、それぞれにいいですね。
ウィーン・フィルとのハイドンは、LP時代から知ってはいたのですが、聞き逃してい
てCDになってやっと聞きました。このコンビのハイドンはいいですね。
-- CMN v0.23bβ --
ヨーゼフ・クリップスについて。 投稿者:KURO 投稿日: 3月30日(日)10時23分39秒
シューリヒトのページに他の名前を挙げてはいけないのかもしれませんが。初めてこの指揮者の演奏を耳にしたのがPHILIPSから出ているモーツアルト交響曲BOX。もっとも1番〜20番まではマリナー指揮のものですが、その典雅な指揮振りに魅了され以後愛聴するように。昨年、ANDANTEレーベル「ウィーン・フィル/モーツァルト名演集」によりレクイエムを聴けた時は、小躍りするほど嬉しい気分でした。今回もユニヴァーサル/デッカによる一連のセット物が発売されてましたが、(世評ではカーゾン/セルのコンビによる演奏を一押ししているようですね)なんといってもクリップスが含まれていたのに感激しました。どの演奏も素敵でしたがウィーン・フィルとのハイドンがとりわけ素晴らしいと思います。これがハイドンなのだと改めて実感しました。これをきっかけに昨今のシューリヒトのように様々なレーベル(とりあえずはコンサートホール・ソサエティあたりからでも構いませんが)からクリップスものが出てくると良いのですが。
自慢 (^o^) 投稿者:修理人 投稿日: 3月30日(日)00時18分19秒
信一さん
こんばんは。お久しぶりですね。
バーンスタイン・ベルリンフィルですかぁ。それは自慢にするのが当然ですね!
ゲネプロまで聴いたというのは、やはり外国にいらっしゃったからこそなんでしょうね。私には全く経験ありません。
私がコンサートで聴いたマーラーは、5番と9番くらいです。5番は大学時代に大学オケの演奏会のタダ券をもらって。当時はブルックナーやマーラーが流行っていて、学生オケでも、かなりな大曲を演奏していました。(最近はどうなんでしょう?)9番は昨年だったか、大野和士指揮の演奏会を渋谷で(オケは忘れた(^_^; )。CDでも、有名な「巨人」や「復活」「4番」「5番」、出だしが好きな「6番」位しか聴かないので分りませんが、たしかに9番の最終楽章は最高傑作だと思います。その前の楽章はムムムなんですが。私もまだマーラーについていけてないのかもしれません。シューリヒトさんの講義を聴かなければなりませんね。
>>顔がシューリヒトに似ていませんか
>いやー、似てないですよ。
そうですか? うーん。
全然聞かれていませんが(笑)、私が自慢にしたいコンサート。今を去る十二年前(だったか?)、新婚旅行のツアーで訪れたミュンヘン(だったか?)で、たまたまその晩あったコンサートの当日券を行列に並んで手に入れて夫婦で聴いたチェリビダッケ指揮による「展覧会の絵」。他にも演目があったはずですが、忘れてしまいましたが。ああ、こうして書いていても、過去の記憶がどんどん失われているのが明らかです。ボケ進行中かも?!
RE シューリヒトとマーラー 投稿者:信一 投稿日: 3月29日(土)00時38分15秒
修理人さん、大内さん
こんばんは、
マーラーの第3の第6楽章の素晴らしさをなんと言ってよいか、言葉がありません。ユダヤの陶酔、身をよじるようなセンチメンタリズム、夜のなまめかしさ、普通マーラーに期待するほとんどすべてを持たない”シューリヒトサウンド”が、その代わりとして高潔な”人間賛歌”を歌い上げていく様子は、シューリヒトを聞く醍醐味です。
マーラーを聞くと自分の俗な部分をちくちくされるような気がするのですが、この演奏を聞くと心が自分から離れはるか高みに連れ去られるような気になります。ワルターは”音楽には道徳的な力があるのです”といいましたが、この演奏がまさにそれを証明しているように思えます。
僕はアルヒフォンのCDで聞いていますが、自然なステレオプレゼンスをつけた復刻が素晴らしく、試験的にステレオで録音されたのではと思うぐらいです。
>マーラーフェスト以外で演奏した交響曲は2番と3番だけ
シューリヒト自身のお気に入りは”第6”だったのではないでしょうか?人生の節目で演奏していますし、曲想はシューリヒトに合っているので… 第2も好きだったのかな、3種類も録音がありますね
1960年は確かマーラーの没後50年かな、そんな意味合いで合唱つきの大曲に大指揮者をということで指揮を依頼されたのではないでしょうか?あのへんに録音が集中しているのはそういう理由によるのでは?
そのうち、ヘンスラーがSDRとの第2と第3を発売するでしょうが、できればその他の曲も発掘してくれるといいですね。個人的には第4(テンポを激しく揺らすと予想)、第6が残っていればうれしいのですが。
>マーラー9番は
あの曲は、マーラーの最高傑作だと思います。シューリヒトで聞ければと普通思うのですが、ちょっと特別な思い出があってできれば避けたい(笑)
実を言うと生演奏でマーラーを聞いたのはただの一回なんです。それが、第9で、バーンスタイン指揮のベルリンフィルなんです。ベルリンフィルを聞いたのもこれが最初で最後、この思い出は一生の”自慢”です。4日間にわたって練習2日間ゲネプロ一回本番一回とフルコースで聞くことができました。あの時の凄さは目に耳に焼き付いて離れません。CDが発売されていますがあの凄さの半分も出ていない、編集が失敗しています。たとえば第3楽章のブルレスケでクラリネットがヒステリックなFFで吹くところがあります。練習でライスターにもっときつい音でとバーンスタインが要求してライスターと言い争いになり30分ぐらい練習が中断し険悪な雰囲気になりました。本番では指示どうりFFで吹いていましたが、CDを聞くとmfになっている!!
すいません、個人的な思い出にふけってしまった。
>顔がシューリヒトに似ていませんか
いやー、似てないですよ。でも、シューリヒトの顔は不思議ですよね。角度によって太って見えたり、がりがりに見えたり、”火の鳥”を見ているとその多彩さは彼の音楽そのものですね。
virutuosoですがディスクルフランで出ていた音源については、音質が向上していますね。モーツァルトのP協17などソノリティーと細部が聞き取れるようになって見違えるような名演奏になりました。(ちょっとヘンな表現ですが)うれしい誤算です。
Re:コンセルトヘボウ管のライヴ 投稿者:修理人 投稿日: 3月28日(金)23時41分53秒
KUROさん
こんばんは。
>HMVによる説明によると演奏途中に女性の声が入ったことで
>有名になったとありますが、これはどういう話なのでしょうか?
>ご存知の方がおられたらお教えください。
以下のリンクを御覧下さい。
コンセルトヘボウ管のライヴ。 投稿者:KURO 投稿日: 3月28日(金)20時07分48秒
4月にNMクラシックから「コンセルトヘボウ管弦楽団ライヴ放送録音集大成」というCDBOXが出るようです。昔からこのオーケストラが好きなので、今からとても楽しみにしているのですが、その中にシューリヒト指揮のマーラー「大地の歌」が収録されているようです。HMVによる説明によると演奏途中に女性の声が入ったことで有名になったとありますが、これはどういう話なのでしょうか?ご存知の方がおられたらお教えください。
シューリヒトとマーラー 投稿者:修理人 投稿日: 3月28日(金)17時40分45秒
大内さん
どおも。
たしかに1923年では録音されて残ってはいませんよね(笑)。
戦後はスイスロマンド管とマーラーの交響曲第2番について、講義付きの演奏会までしていました。第2次大戦後でも、まだマーラーの音楽は聴衆に受け容れられにくかったようです。
それにしてもマーラーフェスト以外で演奏した交響曲は2番と3番だけというのも、信一さんおっしゃるところの「プロフェッショナル」な理由からだったのでしょうか? 次第にレパートリーを古典に移してしまったのかと思いましたが、コンサートリストを見る限り60年代もボチボチとマーラーを取り上げてはいるようですね。
ところで私が聴くマーラー9番は、日本でもお馴染みのガリー・ベルティーニ指揮のものです。なんとなく顔がシューリヒトに似ていませんか?(^o^) たしか信一さんには一笑に付されましたが。
マーラー交響曲第9番 投稿者:楽古堂・大内史夫 投稿日: 3月28日(金)13時05分39秒
修理人様へ。ありがとうございました。しかし、ううむ、それだけですか。シューリヒトが、『マーラー・フェスティヴァル』を開催していた時代は、電気録音?時代に先駆けていた故の、記録の少なさ。残念です。第9番は、バルビローリ指揮のベルリン・フィル盤も愛聴していました。しかし、終楽章のように、精神の「浄化」を表現した音楽では、シューリヒトは余人には代えがたい、深く崇高な演奏をしたと思うのです。
マーラーの交響曲 投稿者:修理人 投稿日: 3月27日(木)12時55分41秒
大内さん
こんにちは。
シューリヒトのマーラーというと、交響曲は2番と3番しかないようです(あとは「大地の歌」と「さすらう若人の歌」)。
9番の最終楽章は、良い音楽ですね。私には誰の演奏でも良く聞こえます(^o^)。
ご質問。 投稿者:楽古堂・大内史夫 投稿日: 3月27日(木)08時26分41秒
シューリヒト指揮の『マーラー交響曲第3番』は、小生のマーラー観を変化させてくれる、室内学的に精緻な演奏でした。シノーポリの「マーラー・チクルス」を聴きました。中後期の大交響曲群は、大ホールの大音量で楽しむべき、大味な娯楽音楽という印象でした。レコードも、ワルターとウィーン・フィルの『大地の歌』と『第9』、それにコロンビアSOの『巨人』ぐらいしか持っていません。『交響曲第9番』の特に終楽章を、彼の演奏で聴いてみたいと思っています。輸入盤のCDなどで、現在でも入手できる盤はありますでしょうか?
RE:国内盤の再発は。 投稿者:toshiharu 投稿日: 3月25日(火)14時55分03秒
DENON盤の再発売は、当分無いのですか。残念です。貴重なステレオ録音なので、何とか復活してほしいものです。
国内盤の再発は。 投稿者:KURO 投稿日: 3月24日(月)22時34分41秒
ここのところのシューリヒト人気。そこで思い切ってコロンビア(DENON)へ問い合わせたところ、あっさりと「再発予定全くなし」との返事でした。DENON自身も最近では「クレスト1000」と称して名盤復活を行っているようなのですが。残念ながらシューリヒトは候補に挙がっていないようです。国内での評価には、もう少し時間がかかるのでしょうか。
RE:マーラー交響曲第3番 投稿者:toshiharu 投稿日: 3月24日(月)08時35分26秒
楽古堂・大内史夫さん
そうですね、シューリヒトのマーラー、いいですね。私の聞いたのは、フランス国立管弦楽団との第2番でしたので、違っているようです。
でも、シューリヒトはマーラーの熱心な紹介者の一人だった、ということなので、その演奏もすばらしいものになったのだと思います。
いつもと違ったシューリヒトが聞けるようで、なかなか興味深いと思います。
マーラー交響曲第3番 投稿者:楽古堂・大内史夫 投稿日: 3月23日(日)14時57分49秒
シュツットガルトの南ドイツ放送交響楽団。1960年のライブ録音。(LIVING STAGE/LS-4035161)二枚組。第一楽章は明晰な名演。冬が春に負け、牧神たちの舞い踊る春が来る。神話的で壮大な世界の変化の中で、少年の耳は、軍楽隊の音楽に季節の変化を感じている。マーラーの複雑な音楽が、音の叙事詩として描かれていきます。終楽章は愛についての讃歌。「白い良き魔法」による透明な抒情詩。かといって標題音楽ではない、あくまで純粋な音楽美。toshiharu様の推薦していたのはこれでは?シューリヒトのマーラーを初めて聞きました。
お礼。 投稿者:KURO 投稿日: 3月23日(日)09時41分07秒
いろいろお教えいただき有難うございます。なにしろシューリヒトに関しては初心者ですので。今後もシューリヒト情報(特にCD関係)を期待しております。ちなみに昨日はずっとvirtuosoのモーツァルト作品集を聴き続けておりました。中毒になりそうです。
ブラームス交響曲第3番 投稿者:楽古堂・大内史夫 投稿日: 3月23日(日)09時19分25秒
KURO様へ。はじめまして。小生の所持するレコードは、バーデンバーデンの南西放送交響楽団の演奏。1962年9月のステレオ録音。FESTIVAL CLASSIQUEという、60枚以上の大きなシリーズの一枚。番号FC-469。泉の水が滾滾と溢れ出るように、ブラームスの音楽が流れる自然な名演。楽章ごとに感動が深まっていきます。古い盤なので、これそのものでは入手できないでしょう。シューリヒトの評価は、フランスで高いですね。あの国の音楽CDサイトで探せないでしょうか? 参考までに。
追記 投稿者:信一 投稿日: 3月22日(土)21時45分26秒
下の文章ですが、”うわさはヨーロッパ中を”以降が空想で、その上は本当のことです。
ついにドイツでも 投稿者:信一 投稿日: 3月22日(土)20時26分53秒
みなさん こんばんは
今日、ヘンスラーのHP https://ssl.haenssler.de/classic.de/をみたら、2月のベストセラーに、ノリントンの第9、ギーレンのブル8を抑えて、堂々、シューリヒトのモーツァルトP協がTOPになっていました!!
物故した演奏家にことのほか冷たいドイツの愛好家を思うとこれはとんでもないニュースです。
ついにドイツでも”シューリヒトルネッサンス”が起きたのですね。
この間も、タワーのベストセラーでvirutuosoが123位独占の札幌オリンピックを演じたばかりですが、ヘンスラーのTOPはものすごい快挙です。
うわさはヨーロッパ中を駆け巡り、ORF音源をもつORFEOはザルツブルグの最後のコンサートを”STEREO"で、ベルリンフィルとのブル7、プラーハのコンサートを2枚組リハーサルつきで販売、ポルトガルの独立レーベルからは”知られざるポルトガル録音”が、フランスからはフランス国立放送の演奏が発掘され”映像つき”でEMIから発売される。
そして、アメリカのMUSICARTSから、”ドレスデンのシューリヒト”と題された戦前の録音が5枚組みで!!
virutuosoを聞きながら、そのあまりの”楽しさ”に、そんな空想をする今日この頃です。
ブラ3 投稿者:修理人 投稿日: 3月22日(土)15時31分14秒
KUROさま
はじめまして。
>ところでブラームスといえばscribendumのboxには交響曲第3番が無いようですが、
>他のCDで購入可能でしょうか。
以前ADESから出ましたが、現在入手可能かどうか、申し訳ありませんがわかりません。ごめんなさい。
ハフナー三種 投稿者:修理人 投稿日: 3月22日(土)15時28分11秒
こんにちは。
以前aosanさんにご報告頂きましたモーツァルト交響曲第35番「ハフナー」について報告します。
VIRTUOSO 94008(1965/1/4)
Disques Refrain DR910001-2(1964)
Lucky Ball LBHS-1002(rec.:1964)
を聞き比べました。その結果、三つとも同じ録音であることがわかりました。
問題は録音年です。John Huntのレコグラフィーには1964年とあります。一方、ArchiphonのDr.Ungerのリストでは1960年。どれを信じたら良いのやら、、。
はじめて投稿いたします。 投稿者:あなたの映画の師匠 投稿日: 3月22日(土)13時33分20秒
はじめまして、福岡の「KURO」と申すものです。HMVをご利用の方でしたらあるいは良く目にされるニックネームだと思われます。たまたまシューリヒトの検索をしている時にこのサイトを見つけました。最近、様々な音源のCDが出回って、まさにシューリヒト熱が高まってきているところです。福岡にはあまりクラシック輸入盤を取り扱う店が少なくて、話題のvirtuosoのブラームスを購入するのにも苦労しました。ところでブラームスといえばscribendumのboxには交響曲第3番が無いようですが、他のCDで購入可能でしょうか。とても名演だということなのでぜひ聴いてみたいのですが。
坂本良隆、その後 投稿者:toshiharu 投稿日: 3月21日(金)21時22分07秒
以前話題になった坂本良隆のことですが、なんと、私の子供の小学校(今月卒業です)の校歌を作曲していました。いままで何度も目にしていたはずでしたが、今までここで話題になった人だったとは思いませんでした。
意外な人とつながりがあったんだなぁ、と思いました。それにしても、シューリヒトの演奏を聴いた記録のある人が作曲した校歌を聴いていたというのは、思いもよらないことでした。
この人、作詞の佐藤佐太郎とのコンビで、市内のもう一つの小学校の校歌も作曲しています。
開戦前夜。 投稿者:楽古堂・大内史夫 投稿日: 3月19日(水)18時07分02秒
今夜は、シューリヒトのベートーヴェン『荘厳ミサ曲』(TRESOR FTS0160~3)を聴くつもりです。彼の叡知の光が暗い夜の不安を、少しでも照らしてくれますように。1957年9月15日の録音。前月の8月22日、ソ連は大陸間弾道弾の実験に成功。4月1日には、西ドイツで戦後には始めての徴兵実施。湾岸戦争の時には、クレンペラーで同曲を聴いていた記憶があります。キリエ・エレイゾン!
Re:岩城宏之氏の録音との関係について。 投稿者:修理人 投稿日: 3月17日(月)23時14分47秒
大内さん
こんばんは。
ご心配をおかけしたVIRTUOSOの「ブラームス集」ですが、無事に届きました。ホッ。
>。「ワルツとポルカ集」の録音の期日ですが、岩城宏之氏が同席していたのは
>確実なので、彼かコンサートホールのディスコグラフィから、
>特定できる方法はないでしょうか?
たしか信一さんがご存知かと。
信一さん、お願いしますm(_ _)m。
岩城宏之氏の録音との関係について。 投稿者:楽古堂・大内史夫 投稿日: 3月17日(月)15時27分37秒
修理人様へ。『ブラームス交響曲全集』も入手できたでしょうか。それなら安心できるのですが。「ワルツとポルカ集」の録音の期日ですが、岩城宏之氏が同席していたのは確実なので、彼かコンサートホールのディスコグラフィから、特定できる方法はないでしょうか?ワープロでネットしているので、大量の情報にアクセスできません。おひまな時に、調べて頂けるようにお願いいたします。おぼろな記憶ですが、岩城氏には、リストの「ハンガリー狂詩曲」のレコードが、コンサートホールにあったように思います。これと同日の録音ではないでしょうか?
シューリヒトを聞く喜び 投稿者:広島の放蕩息子 投稿日: 3月16日(日)17時26分14秒
信一さん、こんにちは。
シューリヒトの記録を享受できる時代と国に生き、シューリヒトが
一生を捧げた音楽に「心から感動できる」感性を授けてもらった
ことに本当に感謝しています。「平和に溺れず、されど戦いを欲せず」
ありたいものです。シューリヒトを聞き続けられますように!
Re ヘンスラーの贈り物 投稿者:信一 投稿日: 3月16日(日)16時45分16秒
広島の放蕩息子さん
こんにちは
情報ありがとうございます。
やはりという感じですが、参りました。たまらずVIRTUOSO全部注文(80%は持っているのに)した後だったので…
この分だと、聞く前に買い直すことになりますね。
シューリヒトで、聞くひまもなく同じ演奏を買うなんて、信じられない時代です。
しかし、復刻の質で演奏に対する評価ががらりと変わってしまうのがシューリヒト。
買わなきゃなりませんね。これが決定版であるのを望みます。(懐が持たない)
それにしても、録音運に恵まれなかったシューリヒトに本当の春がきましたね。放送局のオーケストラを指揮したことが今になって幸いしました。これから、どれくらい同曲異演や新レパートリーが発売されるか想像もつきませんが、放送局の蔵出しである限り、望みうる鮮度で復刻されることと思います。
ほんとに”人生、生きるに値します”ね
Boris Mersson 投稿者:信一 投稿日: 3月16日(日)16時26分26秒
修理人さん
大内さん
こんにちは
Boris Merssonですが、修理人さんが探してくれたプロフィールを読んでみました。
それによると、ロシア系スイス人、1921年ベルリン生まれ。現在、モントルー市民。5歳からピアノとバイオリンを学び指揮をチューリヒでシェルヘン、ルツェルンでカラヤンに師事。作曲、ピアノ、室内楽、指揮と広範囲に活躍。活動は広範囲にわたっているようですが、中心はチューリヒで、音楽協会、音楽院とも関係が深い。
大意ですがこんなところです。
ブランデンブルグの録音当時、45歳程度の働き盛りであったわけで、おそらく”顔”も広かったのではないでしょうか?
すべて、推測に過ぎませんが、バロックアンサンブルを組織し、引退同然のシューリヒトに録音の話をもちかけたのはこの人だったのではないでしょうか?
そして、解釈上の打ち合わせはこの人との間で行われ(おそらくシューリヒトの自宅)、綿密な下稽古の後、本番でシューリヒトが現れた。
そう考えるのが適当だと思います。
>シューリヒトがバトンを振っていない可能性など
これは、難しい。真実は参加した奏者に聞かなければわからないでしょう。
ただ、シューリヒトが拍子を取ったかどうかについては、個人的にはどうでもいいことだと思っています。ブランデンブルグは本質的に室内楽ですから、普通でも棒を持たずにリーダーがチェンバロを弾きながら演奏するほうが多いわけですし、その場合リーダーは目配せで”指揮”するわけで…
重要なのは、名人たちを束ねる”人間性”にあります。シューリヒトを嫌う人はこのエピソードを悪く取るかもしれないが、私は最大限の尊敬を持って受け入れます。テクニックのすべてを失ってもなお、あんなにも個性的な”音楽”を奏でることができる”何か”があるんですから…
ブランデンブルグ協奏曲 投稿者:楽古堂・大内史夫 投稿日: 3月16日(日)10時59分10秒
信一様へ。この曲にBoris Merssonという協力者がいたという発見に、驚かされました。小生が、もっとも長い時間、耳を傾けたレコードです。古楽器の演奏の時代になっても、結局この演奏に戻ってきます。シューリヒトがバトンを振っていない可能性など、一度も考えてもみませんでした。そこに「いる」だけで「目」の力によって、楽団員にこれほどの音楽を創造させるシューリヒト。彼の幸福そうな様子は、ドレル・ハンドマン氏が報告しています。小生の「入門」にも引用しています。この人は、その人間性を知れば知るほど、畏敬の念を覚えさせられます。