シューリヒト掲示板発言 650−601(2003年)


VIRTUOSOのフルトヴェングラー。 投稿者:KURO  投稿日: 7月27日(日)19時55分04秒

とうとう禁断(?)のフルベンに手を伸ばしたVIRTUOSOレーベル。これまでシューリヒトやセル、それにアーベントロートと、なかなか興味深い指揮者の選択をしてきてましたが。当然安価なので今回も即購入してしまいました。まず、最初にベートーヴェンの交響曲第3番(1950年)と第8番(1953年、とても音が良い)のカップリングだったのですが、この辺りはまだ良いとして、続く第5番(1943年)、第6番(1944年)あたりでフルベンのライヴらしさが出てきて、さらに第4番(1943年)、第7番ではかなりヒートしてました。とどめは第9番。もう完全に咆哮状態で指揮者が燃えに燃えております。これだけの貴重な録音が果たしてこんなに安い値段で売られてよいものか?との疑問も湧いてくるぐらいです。(いままで一生懸命収集してこられたフルベン・ファンの方々は本当に怒っておられるとか。)とにかく、いずれの録音も素晴らしく音が良いのに本当にビックリでした。なんとかこの勢いで、シューリヒトの第2弾も企画してもらいたいものですが。

続・シューリヒトの合唱曲。 投稿者:KURO  投稿日: 7月27日(日)08時41分10秒

biwaさん、はじめまして。
福岡のKUROと申します。確かにベートーベンのミサ・ソレムニスは素晴らしい演奏ですよね。
私も今回ようやく手に入れたCD(LIVING STAGEから発売。音質が凄く良いです!)にてじっくり聴き込んでいます。ブラームスやモーツァルトと共に合唱曲の名演と言えるのではないでしょうか。それとこれは合唱曲とは言えないかもしれませんが、かの有名なマーラー「大地の歌」。これも歌手とオケとをうまく噛み合わせた秀演だと思います。
シューリヒトそのものが名指揮者紹介にほとんど現れないのは本当に残念なことです。しかし、そういった過去に埋もれた指揮者たちの再評価が、最近少しづつではありますが進んでいるように感じます。私なんかもそのおかげで、シューリヒトの演奏に接する機会が格段に増えてます。もっともその傾向は、現代の現役指揮者に魅力がなくなっているせいだとの指摘もあり、それはそれで嘆かわしい状況と言えるのかもしれませんが。

シューリヒトの合唱曲 投稿者:biwa  投稿日: 7月24日(木)23時35分17秒

 初めて投稿します。16年前に初めてシューリヒトを聞いて、それ以来病み付きです。楽譜も読めませんし、楽器もできませんし、ただただ、感性で聞いております。先日、久し久し振りに、ベートーベンのミサ・ソレムニスを聞き、改めて感動しました。今度はたまらず、モーツァルトのレクイエムを聴き、またまた感動。シューリヒトの合唱の入った曲のすばらしさは何と言ったらいいんでしょうか?もちろん、合唱指揮者は別にいるわけですが、とにかく、合唱を主体として、オーケストラがつかず離れず、絶妙なバランスで、他の指揮者とは全く違うバランスではないでしょうか?言葉ではうまく表現できませんが、シューリヒト調のオーケストレーションの素晴らしさが、合唱や独唱を引き立たせて、さらに、際立ちます。他の指揮者では、こうはいかない。独特の、人間的な空間を作っています。彼は、若い時、合唱指揮者として、腕を磨いたことがやはり、影響しているのでしょうか?次は、ブラームスのドイツレクイエムを聴いてみます。そうそう、ベートーベンの第9は、シューリヒトのパリ音楽院が私にとってのベスト盤です。しかし、一般の名盤紹介には全く掲載されていない、シューリヒトそのものが、名指揮者紹介ものにはほとんど現れないのはガックリです。このような掲示板や、修理人様のホームページがあって、本当に涙出るほどうれしいです。そうそう、その中でも小石忠男氏が「続々世界の名指揮者」でシューリヒトを紹介していました。その一説、「シューリヒトは・・・晩年には、ドイツの因習的な伝統から脱却して、ベートーベンの古典主義が汎ヨーロッパ的な理想を持つことを証明した。この「第九」はその一つの成果・・・云々。古本屋でこれを見つけて、我が意を得たり・・・でした。

シューリヒトとドレスデンフィル。 投稿者:KURO  投稿日: 7月20日(日)20時57分41秒

再度、書き込みしております。
せっかくの連休ですが、私の住んでいる博多の町は今、記録的な集中豪雨のため水害が発生しており、交通機関等もマヒしています。それで、いま家で静かにクラシックに耳を傾けているところです。
さて、HMVのインターネットで注文したCDがようやく届きました。とにかく想像以上に素晴らしい内容ですね。冒頭のドビュッシーも大人の香りとでも言うのでしょうか、独特の雰囲気を醸し出しています。でも白眉はやはりモーツァルト。これまで様々な指揮者による演奏を聴いて来ましたが、こんなに深遠で胸を打つ演奏はいまだかつて経験がありません。ドレスデンフィルの素晴らしい音色にただただウットリしてしまいました。録音こそ古いもののようですが、鑑賞には全く問題が無いようです。何度も何度も聴き返しています。本当に良いCDを紹介していただきました。

クレンペラーとバイエルン放送響。 投稿者:KURO  投稿日: 7月20日(日)14時12分51秒

皆さん、こんにちは。
最近、クレンペラーのCDが立て続けに発売されているようですね。私も以前、バッハのロ短調ミサ曲やマタイ、それからマーラーの「大地の歌」(これは今でも私にとっては同曲のベストです)などをよく聴いてました。今回あらためてあれこれ聴き直していますが、その中でバイエルン放送交響楽団とのライヴでのメンデルスゾーンの交響曲「スコットランド」。これはかの有名なフィルハーモニア管とのものより優れているのではないかと思われます。いずれにせよクレンペラーの再評価がこれを機会に高まってくれればと思っています。

末法時代 投稿者:田栗宏  投稿日: 7月16日(水)13時59分22秒

仏教の歴史観の中に末法思想という物があります。
まず、仏陀が入滅して500年間「正法」という時代があり、この間は教(仏陀の説く教え)、行(その教えに対する修行)、証(修行の結果としての悟り)の三つがすべて存在します。
次の1000年間が「像法」とよばれる時代で、この間には教、行だけがのこり証がありません。
次いで「末法」の時代がおとずれ、行も証もなく、仏陀の教えだけが説かれる乱れた時代となり、これが10000年つづいて世界が滅ぶとされています。
さて、長々と仏教の歴史観について書きましたが、今まさにクラシック音楽の世界は末法時代になっています。クラシック音楽の歴史を末法思想にたとえると、
「正法」・・・19世紀ロマン派の時代。ベートーヴェンの死後、教(音楽そのもの)、行(演奏)、証(作曲)がすべてそろっている時代。
「像法」・・・20世紀、「証」である作曲は下火になりつつあったが、偉大な巨匠たちがベートーヴェンの精神を演奏行為「行」によってよみがえらせることが出来た時代。
「末法」・・・クラシックの演奏会は相変わらず行われるも、魂の抜け切った表面的な演奏ばかり行われている現状。
日本の仏教思想では1052年が末法元年と考えられていましたが、クラシック音楽では朝比奈隆、ギュンター=ヴァントがともに体調を崩し療養に入った2001年(その後両者とも回復することなく他界した)が「末法元年」といえるでしょう。
このまま「末法」の状態が続くと、クラシック音楽は滅んでしまうかもしれません!

RE:ムラヴィンスキー 投稿者:なべ  投稿日: 7月14日(月)22時44分35秒

ムラヴィンスキーは一応出た端から買ってます。お話のあった田園も非常に良いですが、カップリングのワーグナーも背筋がぞっとする様な迫力に満ちた演奏ですね。一連の来日演奏会シリーズの中でも音質が良い方なのでまあ聞けますし。一緒に買ったDGのマルケヴィッチの組み物と共に長く愛聴しそうです。

ムラヴィンスキーの「田園」。 投稿者:KURO  投稿日: 7月13日(日)18時33分54秒

皆さん、こんにちは。
最近発売となった1979年来日ライヴのCDを聴きました。グラズノフの第5番も良かったですけれど、なんといってもベートーヴェンの6番が最高に素晴らしい!と思いました。同曲の演奏としては以前メロディアから出ていたものを聴いたことがあるのですが、なんだか音が遠くて評価の対象とはならなかったのですが。今回は驚異の音質のため心ゆくまで鑑賞できました。(幸いライヴ特有のくしゃみや客席からの雑音にも悩まされずに聴けました。)とにかく余計なロマンチシズムを排除した形とはなっているのですが、そこがまたシンプルで美しいのです。こんなベートーヴェンもあるのかと思いました。まだの方、ぜひ一度お聴きになられてはいかがでしょうか。

音楽事務所の業績不振 投稿者:田栗宏  投稿日: 7月 6日(日)23時06分56秒

音楽事務所の業績不振は何も不景気だけが原因ではないと思います。やはり、一番の理由は巨匠不在でしょう。バブルの時代にはカラヤン、バーンスタイン、ショルティ、クーベリック、チェリビダッケ、ヴァント、そして我が国の重鎮、朝比奈隆さんといったビッグネームがまだまだたくさんいました。また、ピアニストでもホロヴィッツ、ケンプ、ボレット、R・ゼルキン、アラウ、リヒテルなど、思いつくだけでも存命中の巨匠はこれだけいました。
ところが、1989年からこれらの巨匠指揮者や巨匠ピアニストが相次いで世を去り、2001年の年末に朝比奈さんが、2002年の2月にヴァントが他界してついに巨匠不在の時代になりました。
コンサートのチケットが売れないのは、もちろん不景気のためいわゆるカッコだけでクラシックを聴いていた客層が演奏会に行かなくなったこともひとつの原因でしょうが、それ以上に巨匠不在が大きな理由だと思います。
現に私自身も朝比奈さんが他界して演奏会に足を運ぶ機会がめっきり減ってしまいました。この1年間にオーケストラの実演を聴いた回数はわずか一回、ブーレーズ・LSOのマーラーの5番だけです。今、曲目に関係なく実演を聴きたい指揮者といえば小林研一郎さんぐらいのものではないでしょうか。
現在、私の音楽生活は完全にディスク中心になっています。ディスクを通して過去の巨匠たちにいつでも会うことができますから・・・

神原音楽事務所が解散へ 投稿者:なべ  投稿日: 7月 6日(日)09時29分57秒

クラシック音楽界では老舗の神原音楽事務所(東京都港区、神原芳郎社長)が5日までに、会社を11月末に解散することを決めた。昨年末に神原社長が病気で倒れ、後継者がいないことから社長の妻、美代子さんが解散を決断した。秋に予定しているイ・ムジチ合奏団の来日公演など、予定している公演はすべて行うという。同社は1960年に設立。日本国内の音楽家のマネジメントを手掛けるほか、ピアニストのアリシア・デ・ラローチャさんやベルリン・フィルなど、外国の大物演奏家や団体を招き、演奏会を開催してきた。(共同通信)

掲示板の趣旨とは関係ありませんが、一応お知らせまで。最近は梶本の業績不振がいわれたり、大変な世の中となってきましたね。こういう業種にしてみれば高い席がバンバン売れて後援料もわんさか入ったバブルの頃が懐かしいという事でしょうか。

バルビローリのシューベルト。 投稿者:KURO  投稿日: 7月 4日(金)21時41分31秒

皆さん、こんばんわ。
最近、あまり書き込みがないようですがお忙しいのでしょうか。少し残念です。
さて、BBCからバルビローリのCDが出ましたが、期待通りエネルギッシュな演奏でした。シューベルトに関しては第5番と第8番「未完成」の2曲が収録されています。確かに「未完成」も熱演ですが、個人的にシューベルトの交響曲の中では第5番が好きなので、その意味から今回のCDは自分にはとても貴重なものと言えます。バルビローリを初めて知ったのは、デュ・プレと組んだエルガーのチェロ協奏曲でした。なんともいえない独特の風合いを持った指揮者とでも表現すれば良いのでしょうか。とにかく、その演奏には血の通った温かみのようなものが常に感じられるのです。そのせいでしょうか、本来あまり自分の好みではないマーラーにしても彼の演奏(ベルリン・フィルとの)なら、ついつい聴いてしまいます。この他、この指揮者で気に入っているものとしてはヴォーン・ウィリアムズの「タリス・ファンタジー」などですが。皆さんはいかがでしょうか。
すいません、またシューリヒトから離れてしまいました。

クレンペラーの「田園」。 投稿者:KURO  投稿日: 6月29日(日)15時54分14秒

皆さん、こんにちわ。
待ち焦がれていたTESTAMENTによるクレンペラー/ベルリン・フィルのCDがやっと出ました。今回楽しみにしていたのが、リハーサル風景の録音。期待通り、巨匠クレンペラーの息吹が感じられる内容でした。一歩一歩踏みしめるかのように楽譜を確かめていくマエストロ。それに対して尊敬の念を込めて応じようとしている楽団員。なんとなくその場の緊張感が伝わって来ます。これからもこのような企画を続けて欲しいものだと思いました。(シューリヒトのリハーサル録音は残っていないのでしょうか?あればぜひ聴きたいです!)

話は変わりますが、LIVING STAGEからシューリヒト/ベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」が出るようです。以前からこの演奏が素晴らしいものだという事は知ってましたが、ARCHIPHON盤はとっくの昔に廃盤となっており、残念に思っていました。アリアCDの広告によると「以前発売されていたどの盤よりも無駄なエコーを排除したすっきりとした出来上がり」だとか。でも、実際に聴いてみないことには判断できませんが。いずれにせよ名盤の復活となることは間違いないようです。
今から、楽しみです。

シルヴェストリのBOX 投稿者:なべ  投稿日: 6月28日(土)18時04分51秒

先日、言及した「コンスタンティン・シルヴェストリの芸術」(10枚組)がHMVのサイトで1990円の捨て値で販売されています。万人にお勧めできる様な物ではありませんが、興味がある方はご覧になってみては。
http://hmv.co.jp/news/newsDetail.asp?newsnum=306270094&category=1&genre=700&style=0&pagenum=1

指揮者アーベントロート。 投稿者:KURO  投稿日: 6月26日(木)00時43分08秒

皆さん、こんばんは。
VIRTUOSOから出ているアーベントロートのCDをようやく聴きだしました。
シューマンの第1番、第4番共になかなかの出来栄え。(録音も思ったより聴き易かった!)
しかし、なによりブルックナーの第4番が素晴らしい演奏だと感じました。これだけでも今回購入した甲斐があったというものです。自分にとって全く未知だった指揮者との出会い。これからも大切にしていきたいと思っています。

1970年のベートーヴェン第九。 投稿者:信一  投稿日: 6月24日(火)23時22分32秒

パウクさん
このクレンペラーの演奏は、3年程前クラシカジャパンで放映されました。9曲全曲(カラー)が映像で残されていて、僕はこのとき1.2.3.8.9を録画しました。他は出張中の留守録ミスでパー。再放送を待っているのですが今もって始まりません。
でも、第9は恥ずかしながら録画したっきりで見ていないのです。今度引っ張り出して見て(聴いて)みます。

ドレスデンへのシューリヒトの手紙 投稿者:信一  投稿日: 6月24日(火)23時10分23秒

パウクさん、こんばんは
>この上品な愉快感、躍動する音楽は何だろう。曲を聴いていると、楽員の楽しそうに、心から楽しんで演奏している顔が頭に浮かんできました
 この演奏の技術上の素晴らしさ、オーケストラとの相性、表現の独自性、考えをまとめて紹介しようと思っていましたが”余計なお世話”のようですね。何も付け加える必要などありませんね。
23番も素晴らしいです。戦後のウィーン盤も見事ですが、僕はドレスデンを採ります。第二楽章のオーボエ!!夏の夜の牧童の無心の笛、いったいどうしたらあんな表情で吹けるのか!? 第3楽章の無邪気さの中に潜む”心の祝祭”人間業ではありません。

修理人さんのHPにあるドレスデンフィルのアーカイブのドイツ文のなかに(http://page.freett.com/Schuricht/Dresden.htm)1957年、ドレスデンフィルの幹部に宛てたシューリヒトの手紙が紹介されています。(英文にはないので見落とされている方が多いと思います。僕の拙訳が少しでも雰囲気を伝えられたら…)

“あの古き愛すべき時代を、あなたは思い起こさせてくださいました。美しく、そして心から相互に理解しあい、私たちは演奏(ムジツィーレン)したものでした。
あの戦争が多くのものをあなた方から奪い取ってしまったことを私は悲しみます。
しかし、あなた方楽員たちの熱心な芸術の保持、そして音楽界での新しい卓越した地位は素晴らしいものです。
それは、この老いた音楽家の心を大きな喜びで満たしてくれます。
私は、“君等”すべてを“旧き愛情”を以っていつも思い出します。“
編集済

クレンペラーの1964年ベルリンフィルライブ 投稿者:パウク  投稿日: 6月24日(火)20時08分04秒

信一様。
買いました。どう聴いてもクレンペラーの田園です。時間が余り亡く、ながら聴きですが、重厚でありながら躍動感も併せ持っているように感じます。個人的には絶対のお勧めです。
ついでにもういっちょ。クレンペラー・ニューフィルハーモニア1970年のベートーヴェン第九。アメリカの放送音源の海賊版です(PANDORA'S BOX)が、これがすばらしい。音はラジオ以下ですが、私にとっては第九のベスト版です。

続・続・モーツァルト交響曲第34番 投稿者:パウク  投稿日: 6月24日(火)19時58分36秒

大内様、KURO様。
私は4.5ヶ月前にHMVの通販で入手しました。気長にお待ちになれば入手可能かと。

信一様。
上記のCDの事、詳しく教えていただいて、ふと気がつきました。持っていた・・・。お恥ずかしい。この頃シューリヒトと聞けば、片っ端から通販で購入していたもので、一度に大量に到着し、ちゃんと聴いておりませんでした。(穴があったら入りたい。)で、早速聴いてみたのですが、唖然としました。この上品な愉快感、躍動する音楽は何だろう。曲を聴いていると、楽員の楽しそうに、心から楽しんで演奏している顔が頭に浮かんできました。私も馬鹿な妄想でしょうか。シューリヒトのほかの演奏も含めて、誰のモーツァルトよりも一番すてきに聞こえます。出会えて良かった。

続・モーツァルト交響曲第34番。 投稿者:KURO  投稿日: 6月24日(火)19時01分16秒

大内様。
HMVのホームページにて「指揮者検索」をしてみて下さい。(本当に便利になったものです!)
シューリヒトのCDリストの下の方に有ります。ただし、いいかげん待たされた挙句に入荷してこない場合もありますので、注文できたからといって安心は禁物ですが。ちなみに私も注文しております。

RE:神頼み 投稿者:toshiharu  投稿日: 6月24日(火)10時02分41秒

そうですね。出るといいですね。

それにDVDが出るなら、もう言うこと無いです。

こういう願掛けは、どこに行けばいいんでしょうか。やっぱり天神さんでしょうか?

ドイツ語 投稿者:修理人  投稿日: 6月23日(月)23時15分31秒

みなさまこんばんは。

ウェブに新しいドイツ語の文献を加えました(Das Portraet)。
日本語に訳して下さる方、募集中です。m(_ _)m

http://page.freett.com/Schuricht/biographies.htm


神頼み 投稿者:信一  投稿日: 6月23日(月)23時06分31秒

HMVのHPでクレンペラーの1964年ベルリンフィルライブの記事を読みました。45分のリハーサルつきで日本語訳もついてる!!復刻はテスタメント、悪かろうはずがない。このあとこのベルリンライブのシリーズは、バルビローリのマーラーを出すとか。
ああ、シューリヒト出してくれないかなぁ!!!!!
ブルックナーは第5、第7、第9があり、”英雄”に”プラーハ”だってある。絶対ベストセラーになります。値段が高くてもいい!! 皆さん手を合わせてお祈りしましょう!!!!

Re モーツァルト交響曲第34番 投稿者:信一  投稿日: 6月23日(月)22時32分31秒

大内さん こんばんは、
番号はBERLIN Classics 0090732BC です。
>今でも輸入盤で手に入るでしょうか
この辺のところは疎いので良くわかりません。どなたか教示願えれば幸いです。

シューリヒトの34番は他にもベルリンフィルを指揮した商業用レコードがあります。これは、HISTORYの激安ボックスのなかに入っているので簡単に手に入ると思いますが、ドレスデン盤には及びません。コンセプトは同じでもオーケストラの指揮者の解釈への理解度において大きな差があります。ベルリン盤も悪くない演奏ですが、”この時代にこれほど端正な!”程度の感激で終わってしまう録音です。(もっと音がよければ考えも変わるかもしれませんが、僕の持っているDANTEのCDではそう聞こえます。)
ベルリン盤で思い出したのですが、このところ不思議な経験をしました。
この時代、1930年代の録音をちょっと集中的に聞こうと、WMAに変換して、昼休みの時間などに聞いているのですが、オリジナルのCDより良く聞こえるのです。霞がとれて活き活きして聞こえます。MP3ではこうは行きませんでした。圧縮レートは64と高圧縮したのに、よく聞こえるとは?
声はさらに聴きやすく、シュルスヌスのバリトンなど実に素敵です。
デジタルというのは不思議ですね。
変換はメディアプレーヤの9を使い、CDからハードディスクへエンコードしてパソコンで聴いています。一度ためしてみることを勧めます。

モーツァルト交響曲第34番 投稿者:楽古堂・大内史夫  投稿日: 6月23日(月)11時49分09秒

信一様へ。題名の曲は、存在さえ知りませんでした。今でも輸入盤で手に入るでしょうか。番号をご教示頂ければ幸甚です。シューリヒトのモーツァルトは言葉にするどころか、鑑賞すら小生には難事です。集中力が鈍いときに聞くと、見事に右から左に、音が耳の穴を素通りしてしまいます。何も残りません。体調と気力が充実しているときは、一瞬一瞬が色と匂いの変化する、天上の花園を歩いているようです。馥郁と薫る浮遊感のある、幸福な時間を持続してくれるのですが。

続・アルヘンタ。 投稿者:KURO  投稿日: 6月20日(金)22時01分13秒

私もアリアCDで見て注文しました。今から楽しみにしております。(今月もお金がピンチになりそうなのですが・・・)

アルヘンタ 投稿者:なべ  投稿日: 6月19日(木)23時48分27秒

アリアCDでアルヘンタの特集を組んでいますね。これまで入りにくかったスペインRCA音源が多数紹介されています。http://www.aria-cd.com/sale/20/20-3.htmをご参照ください。ただ、これってダブりが多くてどう組み合わせたらいいのか悩むんですよね。値段も高めですし…

ヴェデルニコフのブラームス。 投稿者:KURO  投稿日: 6月18日(水)23時26分07秒

皆さん、こんばんは。
私も今度はじめてヴェデルニコフの存在を知った一人です。一聴してすっかり虜になりました。
「ロシア・ピアニズム」って本当に奥が深いのですね。今までギレリスやリヒテルだけで満足していた自分が恥ずかしくなりました。ヴェデルニコフの本領はベートーヴェンなのだそうですね。しかしブラームスもなかなかのものだと思います。なんというかロマンチシズムに溢れた、まさにロシア的ブラームスとでも言うのでしょうか。とにかく一枚1200円は惜しくないです。

Re 詳しく教えて  投稿者:信一  投稿日: 6月17日(火)22時30分37秒

パウクさん
>ヴェデルニコフのバッハに驚嘆し
買いたくなるなぁ、でもこの人にはまるとほかにベートーベンもあるし、一枚1200円。とてももたない(苦笑)。このシリーズ、ユージナが出るまで我慢と決め込んでいたのですが、困った!!
>渋い音色に惹かれました
あのモーツァルトはシューリヒト的に”超洗練”されていて、いわゆるドレスデンの響きではありません。前任者のケンペンの録音に聞く”いにしえのドレスデンフィル”とは全く次元を異にしています。もし、戦前のドレスデンサウンドをお望みならベームとザクセン国立(ドレスデンシュターツカペレ)が素晴らしい。良質の解釈と見事なアンサンブルで実に気持ちよく音楽を楽しめます。
>詳しく教えていただけませんか
あのCD(ベルリンクラシックス)は、戦前のシューリヒトがいかに凄かったか証明する重要なCDと考えます。また、解釈的にもひとつの完全なスタイル(指揮芸術としての)を示していて、この時代がシューリヒトの頂点ではなかったか?と考えさせられたりもします。
少し時間をください。つたない言葉で語るにはあまりに音楽的な演奏なのです。
>欲しい!
もし、34番ないしは23番の交響曲にまだ親しんでいないのでしたら、他の指揮者で曲を覚えてから聴くことを強く勧めます。シューリヒトの解釈への驚きが倍化しますし、それにシューリヒトで曲を覚えたら他の演奏が聞けなくなります。素敵な曲で名演も多い。もったいないです。
独白 シューリヒトで”ライン”を覚えたばっかりにどんな指揮者を聞いても不満しかでない。これってひとつの”不幸”です。
編集済

詳しく教えて 投稿者:パウク  投稿日: 6月17日(火)13時32分31秒

お久しぶりです。ROMしておりました。
ヴェデルニコフのバッハに驚嘆し、久々にピアノにはまり、購入をためらっていたナイを買ってしまいました。確かにすばらしい演奏ですね。
信一さん。話に割り込んで申し訳ないのですが、「ドレスデンフィルを指揮したモーツァルトの34番」のこと詳しく教えていただけませんか。一度だけドレスデンのマタイ受難曲を生で聴いてその渋い音色に惹かれました。見栄をそぎ落とした誠実な演奏でした。シューリヒトが指揮すると、どんな風になるのでしょう。欲しい!(CD買いすぎ!と妻にたしなめられているのですが・・・)

切ないけど 投稿者:信一  投稿日: 6月16日(月)23時34分02秒

田栗さんこんにちは
>語りえぬ」ことが分かっていながら、語らずにはいられない。
全くねぇ。切ないことですがそのとおりです。それから僕の場合もうひとつ、”理解し得ない部分があるから理解したくなる”。そういうところもあります。
シューリヒトやナイのピアノには、自分の想像を絶する解釈があります。すべての楽器を自由に駆使し最高のオーケストラを指揮できる状況があったとしても、彼らのような解釈の可能性を想像することは僕にはほとんど不可能です。”どうしてそうするのだろう?”の連続でありながら、完全に完結した個性がそこにあり、ある文化を代表していることが疑いない響きの伽藍を見るとき、まるで見知らぬ国を歩くようなときめきを感じます。
人は自分の手の内に入っているものに興味を持たないものなのでは?
僕は遠く離れた彼らの”文化”に魅了され憧れを感じています。
ドレスデンフィルを指揮したモーツァルトの34番をお持ちですか?”常識”を遥かに離れて”独自の歌”が存在している奇跡的な演奏です。この個性、感性を前にして、何かと通じるものがあるといっても何の意味もなさないでしょう。

愛の悲しみ!? 投稿者:田栗宏  投稿日: 6月16日(月)21時23分43秒

大内さん、信一さんこんにちは。
>”レッテル”を貼って納得するには彼の芸術は懐が深すぎるのでは!?
全くそのとおりでしょう。確かにシューリヒトの芸術を語ろうとすると、ルートヴィッヒ・ヴィトゲンシュタインの「語りえぬことについては、沈黙しなくてはならない」という名言が頭をもたげてくるのです。シューリヒトの作り出す音楽は本当に独特な世界で、それを言葉にすることはほとんど不可能とも思えるからです。言葉にしようとした瞬間にその芸術が手の中からすりぬけるような気がします。あの「プラハ」や「ライン」は、それを体験してこそそのすばらしさが分かるもので、何万という言葉を連ねてみても実際にその演奏を聞くことなしにはそのすばらしさの本当のところは分からないでしょう。それこそ、「語りえぬこと」なので、ヴィトゲンシュタインに言わせれば「沈黙」しなければならないということになるのでしょうが・・・
にもかかわらず、我々、彼の芸術を心から愛するものは「語りえぬ」ことが分かっていながら、語らずにはいられない。まさに、クライスラーじゃありまえんが、「愛の悲しみ」です。私はこの「片思い」に似た気持ちを持ちながら、これからもこの掲示板で愛するカール・シューリヒトについて語って行きたいと思います。
どうか、これからもよろしくお願いします。

枯淡 投稿者:信一  投稿日: 6月16日(月)00時51分20秒

大内さん こんばんは
>シューリヒトを聞く楽しみは、枯れたような表面が、実は無数の種という天才のひらめきと職人の努力の集積にあると、気が付く時
全く同感です。そのとおりだと思います。
田栗さん
>日本人の美意識に通じる何かがあるからだと
僕にとって、日本の芸術でシューリヒトの芸術に近いものを感じるのは森鴎外です。推敲の果てに無駄がそぎとられ凝縮された彼の小説は一見淡々としていますが、読み込んでいくに従ってその表現の強さに圧倒されます。シューリヒトの演奏を枯淡と評するのは、鴎外の”渋江抽済”を枯淡と呼ぶようなもので、”少し表面的に読んでませんか”と文句をいいたくなるのを抑えることができません。
夫人は”彼は全く感傷的なところがなかった”と評していました。音楽的にもこのことはシューリヒトの特徴をあらわしています。音楽に感傷的な表現を求める聞き手には間違いなく”枯淡”ですが、より高い感情を求める聞き手には”永遠に若々しい”表現になるのではないでしょうか?

しかし、そうはいってもシューリヒトには”謎”が多い! こう一面的に評するのはやはり間違いの元でしょう。”レッテル”を貼って納得するには彼の芸術は懐が深すぎるのでは!?


シューリヒトは枯淡か? 投稿者:田栗宏  投稿日: 6月15日(日)22時54分17秒

楽古堂・大内史夫さん、信一さん、貴重なご教示ありがとうございます。確かにシューリヒトに対する「枯淡」といった評価はある意味「日本人が見たシューリヒト像」なのかもしれません。
しかし、大内さんが紹介されている世阿弥の言葉をシューリヒトの演奏が想起させるということを考えると、やはりシューリヒトの芸術が日本人の美意識に通じる何かを持っていると思います。
現にアメリカではシューリヒトはほとんど無名の指揮者です。アメリカ人は自国で活躍しなかった音楽家に興味を持たない傾向があるのですが、シューリヒトはウィーンフィルの戦後初のアメリカツアーを指揮したり、若き小澤征爾がタングルウッドでその実演を聴いたりしたように、かなりアメリカで活躍していた事実を考えるとこれは異常ともいえる事実です。その理由はやはり彼の芸風がアメリカ人の好みではないからでしょう。
一方、多くの日本人はレコードでしかシューリヒトの演奏をきくことができませんでしたが、それにもかかわらず彼の音楽が多くの日本のクラシックファンの心をとらえるのは、やはりそれが日本人の美意識に通じる何かがあるからだと思います。それをどのように表現したらよいかわかりませんが・・・

Re シューリヒトは枯淡か 投稿者:信一  投稿日: 6月15日(日)17時39分30秒

大内さん、田栗さん こんにちは
この問題、書けば長くなるので個人的な考えは後日にしますが、彼を枯淡と評するのはこの日本だけでしょう。
彼の最後の演奏会批評(オールモーツァルト)が修理人さんのHPに掲載されていますが、その最後の部分を参考までに訳出します。
”最後の喝采は意味を持たない。(シューリヒトは)85年にわたり疲れを知らずモーツァルト に奉仕した男として評価されるのだ。人は正しき偉人のみを持つべきである。そうすれば(シューリヒトの演奏が示すような)"若さ"に留まれる。”
()の部分は前の文意から意味をわかりやすくするために追加しました。

編集済

シューリヒトは枯淡か?・2 投稿者:楽古堂・大内史夫  投稿日: 6月15日(日)15時19分10秒

世阿弥の『花伝書』に「花は心、わざは種」という有名な言葉があります。花は心である。花を咲かせる、基本のわざこそ種である。わざという種を、積み重ねていくことで、初めて高い精神の表現としての花に到達できる。「花は心、種はわざ」という平凡な言い方を、世阿弥はしていません。シューリヒトを聞いていると、この言葉を思い出しています。

シューリヒトは枯淡か?・3 投稿者:楽古堂・大内史夫  投稿日: 6月15日(日)15時18分46秒

つまり、表面的には枯れたような味わいの、何気ない名手のわざがある。しかし、内部には心という情熱の花が咲いている。シューリヒトを聞く楽しみは、枯れたような表面が、実は無数の種という天才のひらめきと職人の努力の集積にあると、気が付く時ではないでしょうか?第三楽章冒頭の独奏チェロは、最良の種のひとつでしょう。

シューリヒトは枯淡か?・2 投稿者:楽古堂・大内史夫  投稿日: 6月15日(日)15時09分46秒

世阿弥の『花伝書』に「花は心、わざは種」という有名な言葉があります。花は心である。花を咲かせる、基本のわざこそ種である。わざという種を、積み重ねていくことで、初めて高い精神の表現としての花に到達できる。「花は心、種はわざ」という平凡な言い方を、世阿弥はしていません。シューリヒトを聞いていると、この言葉を思い出しています。

シューリヒトは枯淡か?・1 投稿者:楽古堂・大内史夫  投稿日: 6月15日(日)14時53分49秒

田栗宏様へ。この問題は信一様が、過去に問題提起しています。小生も悩んでいる問題です。田栗さんも書かれているように「表面は枯れていても内部に凄まじい情熱を感じさせる」表現を、私たちは「枯淡」とも「わび」「さび」とも呼んでこなかったように思います。シューリヒトが達成した表現の高みを言葉にすることが、私たちはだれもできていません。


バックハウスのブラームス 投稿者:田栗宏  投稿日: 6月14日(土)16時33分48秒

バックハウスはブラームスピアノ協奏曲第二番を最も得意なレパートリーとしていたようでこの世代の巨匠としてはめずらしく三回もスタジオ録音をしていますが、二度目のモノラル録音はシューリヒト/ウィーンフィルとの共演です。一般には最後のベーム/ウィーンフィル盤が名盤の誉れが高く、確かに私自身もすばらしいと思います。しかし、音質を度外視すればシューリヒト盤のほうがベーム盤よりも上ではないでしょうか。
その魅力の一つはウィーンフィルの音色にあります。ベーム盤も同じウィーンフィルながら、このシューリヒトの頃にはクラリネットに伝説的なウラッハがおり、弦楽器はボスコフスキー、バリリ、カンパー、ティッツェ、シュトラッサー、ヴァイス、シュトレンク、クヴァルダなどの名人がそろっていました。ベーム盤が録音された67年にはこの中で残っていたのはボスコフスキーとシュトラッサーくらいではないでしょうか?
また、表現自体もベームの凝縮の限りをつくした造形より、表面は枯れていても内部にすさまじい情熱を感じさせるシューリヒトのほうがブラームスの作風に相応しいと思います。また、バックハウスも67年盤より若若しく、時々勇み足でしょうかミスタッチも見られますが、そんなものは小さなキズにしかすぎません。
実は、この盤と出会う前の愛聴盤はE・フィッシャー/フルトヴェングラー盤でした。両者ともやる気満々と言うかんじの燃えに燃えた熱演で、第一楽章のオーケストラだけの提示部が終わるとフィッシャーがいかにも「主導権をフルトヴェングラーにわたしてなるか!」というように弾き始めるなど、まさに「競争曲」になっておりスリリングなことこの上ありません。しかし、あくまで「フィッシャーとフルトヴェングラー」を聞くCDであって白いひげをたくわえたブラームスより例の手をぶるぶる振るわせながらオーケストラを巻き込んで行くフルトヴェングラーの姿の方が目に浮かびます。
このフィッシャー/フルトヴェングラー盤ばかり聴いていたので、はじめてバックハウス/シューリヒト盤を聴いたときはあまりにもあっさりしすぎていて物足りなくおもいました。しかし、噛めば噛むほど味がでるスルメのように、何度も聴くうちにこの一見淡々とした枯れた表現の内に秘められた情熱や深い味わいが分かってきて私にとってかけがえのない愛聴盤の一枚になりました。
とくに、第三楽章の再現部冒頭で独奏チェロが弾き始めるところなど、まさに枯れた味わいがあり「わび、さび」を感じさせます。
そういえば、かつて読んだ何かの本で「日本人とドイツ人の美意識には似ている」とありました。表面は枯れていてひょうひょうとしていても一本しっかりした芯がとおっていて深い味わいを感じさせるシューリヒトの芸風がこれだけ日本のクラシックファンに愛されるのも、それが日本人の美意識である「わび、さび」に通じるからではないでしょうか。

アーベントロートのハイドン 投稿者:楽古堂・大内史夫  投稿日: 6月11日(水)17時53分19秒

KURO様へ。アーベントロートには、レコードの時代に交響曲第88番に名演がありました。宇野功芳先生も推薦していたと思います。終楽章だけでも、お聞きください。驚くと思います。ハイドンはシューリヒトも資質に適した作曲家ですね。自然な演奏を残しています。吉田秀和氏にハイドンの持つ、ごく普通の人の音楽が持つ魅力ということを、力説していた時期がありました。シューリヒトもアーベントロートも、その感性を忘れていない点が共通していると思います。

アーベントロート 投稿者:toshiharu  投稿日: 6月11日(水)15時04分59秒

ごく簡単なことでしたら、
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Hinoki/4870/0004.html
にあります。

朝比奈隆がそっくりと言われた、というエピソードがあります。
編集済

続・コンセルトヘボウ管。 投稿者:KURO  投稿日: 6月10日(火)19時13分48秒

なべ様。
確かに今回のCDはどれも音の生々しさ優先のようですね。あとは聴く側の好みの問題かもしれません。しかし、自分にとってはどれも貴重な演奏の記録だという認識で聴いてます。ほんとターラは必要ありませんよね。(笑)
それからシルベストリの件ですが、超個性的であるがゆえに演奏そのものには当たり外れの多い指揮者なのでしょうね。だいたい想像はつきます。でも、お勧めのDISKYの組物はぜひ購入してみようと思っています。
教えてくださって、ありがとうございます。

ところで、シューリヒトの一連のCDを出して以来、虜になってしまったVIRTUOSOレーベルが今度はアーベントロートという指揮者に照準を合わせているようですが、まだまだクラシック勉強中の私としては、この指揮者に関する知識が有りません。どなたかお教え頂ければ幸いなのですが。
編集済

RE:コンセルトヘボウ管 投稿者:なべ  投稿日: 6月10日(火)16時57分33秒

 コンセルトヘボウの組物ですが、既出のものと聞き比べてみると、シューリヒト(CD4)の場合はアルヒフォンの方がノイズを多めに取り除いている傾向が感じられましたが、致命的な違いはない様に思いました。好みの問題でしょうか。クーベリック(CD11)の場合、オーディオファイルから出ている方が、過度にノイズを取っておりモゴモゴな一方、今回のものはかなり演奏が生々しく感じられました。フルトヴェングラー(CD12−13)の場合は、ターラが添付CDでいかにノイズリダクションを苦心してかけたのかを説明するなどかなり念の入った作りであるにもかかわらず、結果としては「今回のCDがあればターラはいらないなあ」という印象です。機器の進歩もあるのでしょう。全体的に、今回の組み物はノイズリダクションをあまりかけずに、ある程度雑音を残してでも音の生々しさを優先する傾向が感じられました。とはいえ、メンゲルベルク(CD2)のフランク交響曲(ライブ1940/10/3)とオーパス蔵が出した同曲(スタジオ1940/11/12)を比較すると、音の生々しさでは明らかに後者が勝っているので、このレベルでの復刻を期待したいところです(無理?)。これ以外にも、1950年までのライブ録音をいくつか出して比べてみましたが、当時のオランダの放送局の録音技術は、特に1940年代以降はドイツの地方放送局と比べてもかなり劣っていたと考えざるを得ませんでした。
 シルベストリは、当たりはずれがありますね。私はドボルザークの新世界(フランスのディスク大賞を得た演奏です)など大好きですが、どぎつすぎて閉口する様な演奏もまああります。以前N響に客演した際には、日ごとに別人かと思われる様な異なる演奏を繰り広げ吃驚させたそうです。演奏に関しては手近なものでは、DISKY(DB 70743)からEMI音源の安価な組物が出ておりチャイコフスキー後期交響曲集とのダブりもなかったと思いますのでお勧めです(10枚組で5000円前後)。スタジオ録音なのに爆演一歩手前の演奏も含まれています。

コンセルトヘボウ管。 投稿者:KURO  投稿日: 6月 8日(日)21時12分52秒

待望の「コンセルトヘボウ管弦楽団ライヴ放送録音集大成 第1巻」が手元に届き、少しずつ聴き始めているところです。今回は1935年から1950年にかけてのものが中心となっており、どれも正規音源によるものとのこと。特に「年代離れした高音質」との売り言葉に半ば騙されて?購入してしまったのですが。最初のCDの第一曲目はワルター指揮によるワグナー:「さまよえるオランダ人」序曲。これは1936年の録音なのでさすがに音は良くないものの他の戦前録音のワルターものに較べるとマシな感じです。驚いたのは次のブゾーニ:ヴァイオリン協奏曲。同じくワルター指揮のもと独奏者にブッシュを迎えてのものなのですが、その音色の鮮明なのにビックリでした。ブッシュの名は知っていましたが、どれも音が良くなくて真価が判然としていなかったのです。おかげで少し勉強になりました。問題はCD4に入っているシューリヒト指揮の名高きマーラー:「大地の歌」。確かに幾分か他の既出CDよりもライヴ的生々しさが増している感じですが、相変わらずところどころテープの歪み音なのでしょうか、ちょっと聞きづらい部分は残っているようです。以上、ご報告まで。

シルヴェストリのチャイコフスキー。 投稿者:KURO  投稿日: 6月 7日(土)20時11分18秒

ひょんなことから入手したCD。
コンスタンティン・シルヴェストリ指揮フィルハーモニア管弦楽団によるチャイコフスキーの後期三大交響曲。初めて知る指揮者との出会い。それほどの期待もなく聴いてみてビックリしました。確かに個性的ではあるのですが、なんともパワフルで素晴らしい演奏なのです。まさに快演とはこのことを言うのでしょう。こんな指揮者が以前は綺羅星のごとくいたのでしょうね。最近なかなかこれはというCDに出会えなかったところだったので、久し振りにホットな気分になれました。
これからも貪欲にいろいろな演奏家にチャレンジしてみようかと思っています。もちろんシューリヒトは別格ですが・・・
編集済

Re:シューリヒトのピアノ独奏!!  投稿者:修理人  投稿日: 6月 4日(水)22時47分31秒

信一さん

こんばんは。
これはまた、絶句するような情報ですね。
しかしクリスマスまでの連続放送のプログラムみたいですので、
信一さんの不安どおり、もう終ったのかもしれません。
当該サイトにメールで問い合わせてみます。
編集済

シューリヒトのピアノ独奏!! 投稿者:信一  投稿日: 6月 4日(水)20時13分37秒

修理人さん 大ニュースです。

WIENにあるWEBラジオの予告で次のような記述を発見しました。
Franz Schubert (1797-1828) "Allegro giusto" aus der Sonate H-Dur op. Post. 147 D 575.
Carl Schuricht auf einem Bosendorfer Imperial.
http://www.radiostephansdom.at/wohltemperiert
ベーゼンドルファー用いてシューリヒトがシューベルトのピアノソナタを弾く!!
よくもそんな録音が残っていたものです。彼のピアノソナタやエピソードから相当ピアノがうまいと想像していましたが、本格的な独奏の録音があったとは!!放送されるのは終楽章のみですが、オリジナルは全曲あるのでは? 
この分なら、ほかにも弾き振り等の録音の可能性も出てきましたね。

これは上記WEBラジオで12月12日に放送されます。(願わくば放送されたのでないことを!!)

シューリヒトと海の音楽 投稿者:楽古堂・大内史夫  投稿日: 6月 4日(水)08時32分49秒

田栗宏様へ。同感です。「フィンガルの洞窟」のファンは、このHPにもたくさんいっらしゃいます。楽しいですよ。過去ログをご覧ください。小生の手元にあるCDは、キングのKICC2194です。「静かな海と楽しい航海」が入っています。こちらは如何でしょうか?冒頭の「静かな海」の情景を描いた穏やかな音楽は、小生にとって最高の「いやし」の演奏。シューリヒトの描いた一編の海の抒情詩。通勤前の気分のすぐれない時に聴くと、今日の一日を頑張ろうという気分になれます。

どうして、神に感謝せずにおれようか! 投稿者:田栗宏  投稿日: 6月 2日(月)23時28分17秒

シューリヒトの小品の録音の中でも私にとって忘れられないのがメンデルスゾーンの「フィンガルの洞窟」です。同曲ではフルトヴェングラーのSP復刻盤も素晴らしいと思います。ですが、私はどちらの方がどちらより優れている、など絶対に言うことができません。
激しいテンポの変化でドラマティックに展開するフルトヴェングラー。一方淡々とインテンポで枯れた味わいを見せるシューリヒト。表面的には全く正反対といえますが、どちらも音楽の本質をとらえ、このわずか10分弱の小品の中に人生を感じさせ、まさにヴィクトル・ユーゴーの「人生は航海である」という言葉を思い起こさせます。
このような優れた名演について優劣を問うのは愚行というものでしょう。むしろ、この珠玉の小品に全く異なる外見をもつ二つの名演を与えてくれた神に感謝すべきだと思います。

シューリヒトのイメージ・2 投稿者:楽古堂・大内史夫  投稿日: 6月 1日(日)09時59分48秒

もちろん、彼のみを、他に比肩する者のいない天才と言っているのではありません。あれほどに多数の、相異なる優れた才能が輩出した時代に、そう考えることは、いくらファンでも馬鹿げています。そうではなくて、晩年の彼の指揮法、作品解釈、生き方等々がひとつの規範として、見られていたのではないかということです。音楽で適切な例が思い浮かばないのですが、日本の近代文学での戦後の志賀直哉が、スタイルの異なる小説家たちに尊敬の念を覚えさせる、そのような位置にいたと思います。

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